ほんとうのこと

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第六章 続き

愛のレッスン

攻撃の放棄

あなたが愛であることを学びなさい

唯一の答え

正しい心の状態でいたい。

今日は、母に腹が立たなかった。というより、腹が立つ方を選ばなかった。
とても疲れていて眠かったのもあるし、子どものことで気分が沈んでいたのも
あったのか...?
でも、ずっと赦しをしていたのだと思う。感情は沈んでいたけど、攻撃はしなかったから。

 わたしは癒されよう  神のために

 わたしの喜びは 神の喜びなのだから

しっかりと 導いて欲しい  手をとって やさしくしっかりと。

「どのような形で苦しんでいるかには関わりなく、助けを必要としている者は
みな、自分自身を攻撃しているのであり、その結果、彼の心の平安は損なわれている。」

マニュアルより

けれども、損なわれているのであって、失われることはない。

私には能力がないと思いこんでいる。
無力だから助けて欲しい...という自我の論法に従ってしまうことになる。
神を侮辱することはありえない。

私には力はない。と謙遜することは、エゴを支持することになる。
だから傲慢になるんだ。
その違いが、なんとなく分かる気がする。
傲慢だからといって、排除したくなるようなことでもなく...
ただ、間違ってただけだ。


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# by kokoro3heian | 2018-04-09 14:49 | 癒しへの道 | Comments(0)

第六章 続き

愛のレッスン

投影に代わる選択肢

苦しみは、全部自我による仕組み。
ここのところ すごく苦しくて、パンさんに相談。
すごくハートが温かくなる。
動画を紹介してくれて、それがとても心に残った。
夜にマニュアルを読んだら、瞑想状態になり、そのまま
寝たら、ぐっすりたっぷり眠れた。スッキリ♪
このハートの平安が、いつまでもいつまでも続きますように...


混乱を招く。自我による仕組み(投影)に代る選択肢がある。

聖霊という選択肢。あなたがこの世界の中にはいないということの確認。

完全無欠な者は何も必要とはしていない。
あなたは完全無欠性が本性なので、達成困難なものとして
経験することはできない。
聖霊だけが葛藤から自由であるため、聖霊だけが葛藤から自由である。


捉え方ですべてが変わる。


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# by kokoro3heian | 2018-04-07 17:27 | 癒しへの道 | Comments(0)

第六章

愛のレッスン


思い込み = 選択



十字架刑のメッセージ

責められる・迫害されるという強迫的な誘惑を、ここ数日間体験している。
それを赦すと、もの凄い解放感がある。
けれども、またすぐに新しい状況や問題として誘惑がやって来る。

「あなたは、ただ、間違って知覚してしまいたくなる誘惑がはるかに少ない
状況で、私の手本に従うことと、そのような誘惑を怒りの間違った正当化
として退けることが、求められているだけである。」

だけっていうけど... いやいや... この誘惑、たくさん来ているように思えて
ならないんだけど.....。
腹の立つことばかりに意識が行ってしまう。
それを真実と受け入れられたらいいのに...。

あなただけ... この世界では、私だけ特別という意味になるが、コースでは、
       私が責任を取る。という意味合いになる。

これは、非難についてのレッスンなのだな。

わたしは怒りません。 「怒り」は悲しみから始まった防衛だからです。


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# by kokoro3heian | 2018-04-07 17:15 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト 第五章 つづき

第五章 癒しと全一性

自我による罪悪の使用


思考が不自然 = 罪悪感と感じる。罪を感じる。

「無罪の心が苦しむことはあり得ない」

正気の心は病など、思いつく事もできない。
しかし...この日は病院に行って、めちゃめちゃ疲れた...122.png


時間と永遠

「罪悪感という感情こそが、時間を存続させているものである。」

私が自我に与えているのか...
自我に与えても無意味なのに...?
自我の継続性... 私が力を与えている...
私は逃れることができるのに、その方法が分からないと思っている。

自分にとって、何が値打ちのあるものか?
やはりエゴを、まだ大切だと思っているんだな...117.png


神を選ぶ決断

自分は喜ばない。 と、決断した結果、苦しみ・防衛・攻撃という間違った
決断をした。
けど、至福・癒し・赦し・贖罪という別の選択が出来るということを知ること。
それは、難しいことではあり得ない。

「あなたの役割は単に、誤りが犯された地点まで自分の思考を戻し、
それを平安のうちに贖罪に引き渡すことだけである。」

贖罪って、償うというより 罪などないことを与えられること?かな?


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# by kokoro3heian | 2018-04-07 16:58 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト 第五章 つづき

第五章 癒しと全一性

教えること、癒すこと

息子に数学を教えていて、あまりにも理解してくれないのでイライラした。
聖霊に、助けて!と何度も頼んでみる。
そして...
ゾウの話をしたくなった。
「君はゾウをお尻を見てゾウだと思ってるけど、長~い鼻とか
こ~んもりした丸い背中もあるんだよ。」

それでも、視点を変えようとしない息子。

「数学のやり方を教えて!それを教えてくれればいいんだよ。」

「それはできないよ!」
(それをさっきから教えているけど、土台がないから理解しないんだもん!
 一体どうやったら そのことを理解してくれるんだろう???)

そして...
ジェットコースターの話をしてみたくなった。
「ジェットコースターに乗ったことない人に、乗り方は教えてあげられるけど
キャーーーーーッ!!っていう体験は教えられないんだよ。
分かるよね?」

..........

「どうしたら お母さんのこの『わかった!』という理解が伝わるのかな...?」
と、頭と頭をくっつけてみる。
手で筒を作って、つなげてみたりした(笑)
「体験が必要ってこと?」
「そうかもしれない」
「感情?」
「うーーん」
「分かった!ってこと。分かった!って、感情とは違うなぁ」
「へえぇ~! と、素直になればいいんだよ」

素直に聞く。

大きく頷いて納得していた。

分からなくてイライラして頭や体を掻く癖があったのだけど
すっかり治まり、スッキリした顔をしていた。

ああ。理解ってそういうことだよね。


結論 
分かるには、体験が必要。
それには、教師の言うことに偏見を持たず、ひねくれず
素直に聞くこと。


こうなって欲しい。という衝動は怒りを伴う。
けれど、一呼吸したり 一旦立ち止まって 思考を巡らさないようにして
聖霊にお願いしながら(エゴに負けないように)癒しを共有するように
勤める。ということで、新たな展開が生まれる...という学びがあった。
これを復習している今日も、強烈に学んだ日だった。

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# by kokoro3heian | 2018-03-24 17:31 | 癒しへの道 | Comments(0)