ほんとうのこと

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第九章 つづき

贖罪の受容

二つの評価

読むのが苦しい。読んでも正しい心の状態にならない...
普段、いつもこういう状態なのだろう。
エゴの抵抗を強く感じる。

「救済を求めて遠くを探す必要はない。毎分、毎秒が、あなたに、
自分自身を救う機会を与えている。」

神の壮大さを感じられる地点から、エゴによって卑小さにつられる...
引きづられる...と感じていたけど
コースには「誰がそれを許可したのか」と書かれている。
誰が許可したかと問われれば... 私しかいない119.png

「私がいなければ神ご自身が不完全である。」

ああ。そうだよね。正しい心の状態にならなければ、残念に感じる。
それは神も同じ。



壮大さと尊大さ

エゴは考え方が攻撃的。
真理は優しくてやさしくてかんたん やわらかい。
それが壮大さ、かもしれない。

「あなたは神の心の中以外のどこにも居られないということを
いつも覚えておきなさい。これを忘れるとき、あなたは必ず絶望し、
攻撃することになる。」

私が不幸なのではない。癒されていないだけだ。
神の癒しが必要なだけだ。

壮大さ = 自我に対する神の答え

壮大さを見ようとする意欲...

あ~そうか。自我をしっかり見なきゃいけないとどこかで思ってて、
グルグル巻き込まれてたんだ。
私がしっかりと見なきゃいけないのは真理だ!!!
そうだよ~ 間違ってたよ~
しっかり真理を見て、エゴは幻想だからサヨナラ~~で良かったんだ
よね?

感情は生もの。味わうだけ。理由はない。
それを聖霊に伝える。
霧が晴れるように真理を教えてくれる。
受け取れていない気がしたとしても、うまくいかないように思えても問題ない。
エゴを見ても、聖霊と共に透過する。
そこに問題はないのだから。


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# by kokoro3heian | 2018-05-23 10:29 | 癒しへの道 | Comments(0)

第九章 つづき

贖罪の受容

聖霊による赦しの計画

今は土台作りなんだな~~...と感じた。
真理を腑に落とすには土台が必要なんだ。
それにしても、批判とか...エゴにとらわれやすいな~最近。
とらわれている事に気づいた...ということなのかなぁ。
つらい。何もしたくない。お金がなくてもできること沢山あるのに...
夢はある。けど、それに対して何もしたくない。
何もできない...
言い訳ばかりがうずまき、人を責めたくなる衝動にかられる。

と、書いてからテキストを読んだら
「あなたの知覚を誤りの上にとどめてはならない。」だって!
まったく その通り103.png

「あなたは自分の能力を自我の目を通して見てはいけない。
そのように見るなら、あなたも自我のように、自分の能力を
裁くことになる。あなたの能力の有害性はすべて自我による判断の
中にある。」

そうだ!いろいろとうかぶネガティブなことはエゴの抵抗であり、神と
ひとつに戻りたいという心の叫びなのだった!

苦しい時や重苦しい気分、嫉妬、落ち込み、こんな気持ちの時は
「私」が何かをしようとしている。やろうとしている。やらなければ...という
間違いをしている時だ。
完璧な聖霊にお任せしよう。ゆだねて安心しようと奇跡を願う時、その状態に
なるのかもしれない。




癒されていない治癒者(ヒーラー)

反発している...ということは、それ(エゴ)を依然として信じているということ。

「神が「光あれ」と言ったとき、光は現れた。」
「闇を分析することによって光を見出せるだろうか。」

分析は魅力的だ。けれどそれはエゴの解体でしかない。
幻(ありえないもの)を解体・分析しても、それを信じるという狂った
証をみつけているだけになってしまう。

光は彼からのものではない
光は彼のためのもの
聖霊だけが唯一の治療者(セラピスト)である。

「善なるものだけが効力をもち得るのである。それ以外のものは
まったく効力がない。」



兄弟を受け入れる

あ~~~...最近の状況からすると、すごい抵抗感~~~~~!!
この抵抗感は神への愛の叫びなんだよね!?
エゴはコレをねじまげちゃうからな~~~~~!!

    ...... テキスト読も。

幻想に意味をもたせようとする兄弟に引っ張られてたけど...
聖霊が良い結果をもたらすなら...うん、もたらしてる...
不安になっても聖霊の方の導きを信じればいいんだ。
って、思うけど。不安になると聞こえないんだよな~130.png

恐れを信じることになるからな...
2つを一度に信じることはできないんだものな。

与えることは 受け取ること
私がこれを理解することができますように


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# by kokoro3heian | 2018-05-22 17:10 | 癒しへの道 | Comments(0)

第九章 つづき

贖罪の受容

祈りに対する答え

心の安らぎ、平安は、自分が何とかして つなぎ止めなければ...という
のは間違っている。それが恐れからくる考え方だからだ。

私はそれで人をつなぎ止めてきたんだ...
それを赦そう。

世界には自分しかいない
誰にも奪われるものはない 求めるのではなく与える
人を責めるのでも
人を変えようとするのでもなく
自分の心を変える
それが本当の成長かも

コースをやっている人のブログから抜粋

私は混乱している。これじゃ真理の声は聞こえないよな...
「あなたは彼の声を聞くときに、私の声を聞く。
真理に耳を傾けることだけが、今それを聞き、ついにそれを
知ることができるようになる唯一の方法である。
兄弟があなたに送るメッセージは、あなた次第である。」

「聖霊が兄弟の中に居ること、そして、兄弟を通して聖霊の声が
あなたに語るということを思い出しなさい。」

真理を聞けない人も沢山いるけど、聞ける人もいる。
それでいいんだ。
聞けないからってガッカリすることないし、自分を責める必要もない。
いずれはそうなる。準備ができたら。

「あなたは与えることによって受け取る」

意味がわからん~~~ という感じだけど...
過去に囚われて、私は神の子を見ることが出来ずにいる、ということだ...
過去や、その人のオーラに腹を立てている。そして拒絶している。
苛立たしい人のどこに聖霊がいるのだろう...

世の光は、私の赦しを通して、すべての心に平安をもたらす
lesson63より

このレッスンを読んでいる間に、職場の人と私の過去生が見えた。
今の状況が腑に落ちた。
そして、いつもの聖霊のユーモアで笑いに変わり、ものすごい解放感が
訪れた。

この世界はゲームみたいなもの。どんな残酷でさえも。


誤りの訂正

前世の事なんて、本当はどうでもよいことかもしれない。
けれども、赦しによって癒される手段は様々なきっかけがある。
それが形に思えるけど、解放されてしまえば無になる。

兄弟のことが神の子なんて思えない時があるけど、思える人やタイミングが
あることを嬉しく思う。エゴの目で見ているか、キリストの目で見ているか...

怒りがわいている時は、エゴを通して見ている。
そういう時は、聖霊に耳を傾けていないからだ。
イライラ、ムカムカはエゴのサイン。

「兄弟が正気でない行動をしているとき、あなたは彼の中に正気を知覚すること
によってしか彼を癒すことはできない。
あなたが彼の誤りを知覚し、それを受け入れるなら、あなた自身の誤りを
受け入れていることになる。あなたが自分の誤りを聖霊に預けてしまいたいの
なら、兄弟の誤りについてもそうしなければならない。」

あーーー... まったくその通りだ。
私は必死に自分の正しさを守ろうとしている...。
私は自分の間違いを認めて、聖霊に差しだすことができるだろうか...
エゴが難しさを感じさせるんだろうな~~...  あ~~... 
兄弟の誤りを攻撃したくなるな~~...  う~~...

「もしも彼が間違っていると考えるなら、あなたは自分自身に有罪宣告を
しているのである。」


誤りは実在しない。

「あなたの道を見出し、それを保ちたいのなら、自分の傍らに真理だけを
見ていなさい。あなたと真理は一緒に歩いているからである。」

「兄弟の誤りはあなたの誤りと一緒に赦される」

「聖霊は、あなたが一切を咎めずに見ることを学ぶことによって
自分自身を咎めずに見る方法をあなたに教えてくれる。」

私は世界を祝福する。それは、私が自分を祝福しているからである。

lesson187より


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# by kokoro3heian | 2018-05-18 14:57 | 癒しへの道 | Comments(0)

第九章

贖罪の受容


実相の受容

自らの真の本性を恐れるという狂気....。

きのうから、夫に対して恐ろしいほどに湧きあがる怒り。
私はすぐに家を出たい!とわめきたくなるけど、心の中の
わたしは、本当に辛抱強い。何かあっても必ず乗り越えてくれる。
こんなに支払いたまってどうすんの!? も~~うざい人が周りに
うじゃうじゃいる~~~!自由になりたい!もう嫌だ!
と、ヒステリックになったとしても謙虚でいられるのだから。
そんなエゴの私に構わず、コースを黙々とこなしていく...

結局 この肉体に救いはないのだ。
そうだ...
私が望むのは復讐ではない。
この怒りは、「思い通りにならない。人が私に危害を及ぼす」という恐れだ。
私がそれを望むはずがない。
私が攻撃されることを望むはずはない。


私の不満が、私の中にある世の光を隠している
lesson69より

思い通りにしよう、ではなくて思った通りになっていると受け入れて
私がこれを望んでいないことに気づき、選択をする。
あたりまえのことなのに、エゴや感情に支配されると不満で心が覆われて
、混乱したり動揺したりしてうまく選択できなくなっている。

イライラ・ムカムカすること。恐れること。がっかりすること。
それで沢山のエネルギーを消費しているんだろうな...
可能なことより、不可能なことを望んでいるのだろうか...?
最近は支払いのお金が入ってこないので焦り気味で、それがきっかけで
夫のことを怒っている自分がいる。
それで自分のことを責めない代わりに今度は相手を責めてしまう。
私がこれを望む訳がない。
ここから抜け出すことが、聖霊や神や自分自身にとって祝福すべきことだ。
エゴにとっては恐怖かもしれないけど。

私が愛を受け入れることが出来ますように...

.....

実相の世界は、形がなく、「私が」が存在しない。
「私が」という意識はなく、私が喜べばそれに反応して
すべてが喜びに溢れるが、「おかげさまで」という意識がない。
注目すべきものは何もなくて すべてが心と連動している世界。
羨ましいとか欲しいとか、そういう感情は一切なくて、
おかげさま とか ありがとうとか、いわゆる感情や人間的なやりとりは
まったくない。

この状態にとどまりたいけど、うすれてゆく...
この世界と比べて言葉にしていくうちに薄れてしまう...
コースの言葉すら超越している
これが神からの贈り物...

本当に帰りたい と、思う。


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# by kokoro3heian | 2018-05-17 15:21 | 癒しへの道 | Comments(0)

第八章 つづき

帰還の旅


訂正された知覚としての癒し

ついつい、肉体を癒そうとしてしまう。肉体に原因はないのにね。
この間、仕事が2日間休みなので ゆっくり休めると思ったとたんに
腰痛になった。どんどん酷くなるのが怖くなってアロマを使った。
良くなったけど、これは心に働きかけたということなのかな...
明日から仕事だ...と思ったら回復してしまった。

「自我があなたを病気へ誘うとき、聖霊に肉体を癒してくれるように
求めてはならない。なぜなら、それは単に、肉体は癒しの適切な対象だ
という自我の信念を受け入れることだからである。
それよりもむしろ、肉体についての正しい知覚を教えてくれるようにと、
聖霊に求めなさい。」

肉体についての正しい知覚??

知覚だけが歪曲され得るものだ。知覚だけが間違うことが可能だ。
知覚だけが病気になり得ると書いてある。

ワークブックを開いてみる。
私の心が、神の想念を拒否しませんように
lesson165より


目覚めることに対する恐れが眠りを強化する。
そのために知覚が歪曲されるのだろうか。そうすればまた深い眠りにつくことが出来るから...。

無害性の実相へ気づくには、わたし次第であり、それは本当に簡単なことだ、
というのに、眠りへの誘いは協力に思える。
安らかな時は目覚めている。元気な時は目覚めている。

癒しとは... 目覚めに対する恐れからの解放
      目覚めるという決断への切り替え

「すべての癒しは恐れを愛に置き換えることを伴う」

今日のレッスン
今日、私は自分にかわってキリストの心眼(ビジョン)に、すべての
ものごとを見てもらう。そしてそれらを裁くことなく、その一つひとつに
愛という奇跡を与える。

lesson349

神の意志は、あらゆるものごとの中に、永久(とわ)に在り続ける。


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# by kokoro3heian | 2018-05-14 11:40 | 癒しへの道 | Comments(0)