ほんとうのこと

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テキスト 第三章 つづき

第三章 無垢なる知覚


外側に見える世界は、全部失敗した世界。
失敗という夢をみているだけ。
いくら今この肉体という感覚があっても、知覚という
残像を見ているだけ。
じーーーーっと見つめることで、残る残像。集中して夢中になって
見ることで、あたかも在るように見える。
私たちは、そこまで集中して この失敗という夢にエネルギーを注いでいるのだな。
そのエネルギーを、復讐や欠乏感にそそぐのをやめて、聖霊やイエス兄さんに耳を
傾けるようにしたらどうだろう?
きっと心が安らぐに違いない!

「彼が知ることができるように、彼を正しく知覚しなさい。」
? どういうことだろう? と、疑問がわく。
彼が劣っていることを証明したいという願望があるのかもしれない。
それは、自分がそう見られることへの恐れがあり、結局自分のことを
劣っていると思っていたことに気づく。
それが動かぬ事実なんだと思い込んでいる。

気をつけた方がいい。
あなたがたは、自分が作り出した幻想のなかで生きていることを忘れがちだから。

[神とひとつになること より]



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by kokoro3heian | 2018-02-27 18:27 | 癒しへの道 | Comments(0)

自我の思惑

もっと楽しく暮らしたいのに。と、感じることがあるけど

私たちは、好きなことをしている。

思い通りになってないよね~~、と、自我は思わせる。



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by kokoro3heian | 2018-02-25 07:43 | つぶやき | Comments(0)

テキスト 第三章

第三章 無垢なる知覚


拒絶という概念は、投影、つまりエゴの作り出したもの。
拒絶や犠牲...心は激しい怒りが沸き起こる。 


いろんな欲求・衝動があり、目まぐるしい状況が繰り広げられた日だった...
私は歪んでいる。私は奇跡を見ていない。
ただそれだけを痛感する一日だった134.png

「幻想を疑問視することが、それらを取り消すための最初のステップである。」

今日は思いっきり翻弄されて ぐったり。

「質問するのをやめたとき、あなたは知るのである。
質問する心は時間の中で自らを知覚するので、未来に答えを探す。
閉ざされた心は未来と現在は同じものになると信じている。
このことは、一見安定しているように見える状態を呈するが
それは通常、未来は現在よりも悪くなるのではないかという密かな恐れを
和らげようとする試みである。
この恐れが、それを疑問視する傾向そのものを抑制してしまう。」

どうしても、なんとかしよう!というエゴからの選択に応えてしまう。
聖霊を信頼することは、自分自身を信頼することになる...という
経験が、「いまここ」という生き方が出来て、自分の機能(神の意志)で
生きることができるようになるのかもしれない。


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by kokoro3heian | 2018-02-22 11:00 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト 第二章つづき

第Ⅱ章 分離と贖罪 つづき

支払い!支払い!支払い! もう うんざり。 そのために働いてる!?
おまえも働け!お前が遊んだり贅沢する陰で、どんだけの人が苦労してんのか
分かってのんかよ!!
っていう、激しい怒り。

お金に不自由したことのない私に向けられた怒り。
たぶんそれがこびり付いているのだ...
罪悪感は被害者をつくる。 実感。

罪はない。罪はない。
どうか違う世界を見せてください。
どうか みんなが幸せを受け取ることが出来て、すべての人が
怒りを手離せますように...
って、私が手離せばいいのかw

「あなたのお母さん、働かないで家にいるの?」ものすごい嫌味と怒りの
こもった言葉。 高校のときに、痛烈に感じた違和感。
「あなたってバカ正直ね」
入院したときに言われて、心に突き刺さった言葉。
いま思い返すと、自分のことを被害者と思っている人達からの言葉だった。
猛烈に罪悪感に苦しんでいた高校時代に、たくさん味わった幻想の言葉。
インナーチャイルドを癒したときに、少し薄れたと思っていたのに。
こんなにまだまだ出てくる苦しみ。
それだったら、まだ被害者になった方がマシ。と、どこかで思ったに違いない。

それを光に返そう。いまこそ!



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by kokoro3heian | 2018-02-12 18:50 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト 第二章つづき

第Ⅱ章 分離と贖罪 つづき

Ⅵ恐れと葛藤
このレベルの混同こそが、心の乱れを起こしているのだ。
これを訂正すれば、赦すことができる?
これを理解すれば...

レベルの混同
恐れている状態(迷い・戸惑い・葛藤・ねたみ・苦しみ・辛さ・疲れ・無力感など)
       
肉体(物質的なもの)の想念を心のレベルにまで引き上げてしまった。間違った状態。

「何かをすることを選ぶ前に、あなたの選択が私の選択と調和する
ものかどうかを私に尋ねなさい。調和しているという確信があれば、
恐れはなくなるだろう。」


恐れはわいてくるように思えたけど...

あなたの心のみが恐れを生み出すことができる」

「恐れが生み出されるのは、心が自ら望んでいるものについて葛藤しているとき
であり、そのとき、望むことと行うことの不一致により、必ず緊張が生ずる。
これは統一されたゴールを受け入れることによってのみ、訂正できる。」

ゴールは家に帰ること♪

葛藤とは恐れの表現の一つ。

無視する人、攻撃してくる人、ネガティブな人、やる気のない人、
ワンマンな人(自分勝手)、拒絶する人、病気の人、こだわりの強い人、
同じ事を繰り返す人、一緒にいると疲れる人。

どういう訳か、愛さないと決めた人。
どうしても愛せない... って、愛のない選択をしているんだよね...

これは全部私であり、私のあらゆるレベルなんだけど...

このような愛のない選択をしたので、神はこの状況に「贖罪」を授けた。
治療の必要がある状況は、恐れを抱いたままの状態。
治療法を受け入れることは、恐れを廃絶したことになる。→真の癒し。
治療法って書いてたけど、なんのことかな?
自分で書いてて分からない。

今も私たちは形や何かしらを生み出している。
それを認めるのを恐れている。
責任を持ちたくないからだ。
コントロール不能と思い込んでいる。
それは、自分が恐れを作り出し、それを信じているからだ。
恐れの制御ではなく、愛を選択する、愛に慣れることが大切。
だけど、この感覚(葛藤)は続く。
存在しないものの力を信じる、という立場に自分を置いてしまったから。

目の前に望んでいる状況が現れていないこと。
それを、悲しみに暮れて自分を責めるのでなく、悔やむでもなく素直に
認めて見つめること。
混乱しているときには、とてもとても難しく感じて奇跡なんてありえないと
思ってしまう。
体調が悪いときは特に感じる。カラダに意識がいってしまうからかもしれない。



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by kokoro3heian | 2018-02-10 13:35 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト 第二章つづき

第Ⅱ章 分離と贖罪 つづき

Ⅴ奇跡を行う者の機能
A奇跡を行う者たちの特別の原則

拒絶や否定されたように感じるのは、私が癒そうとしていたからだ。
癒し方は聖霊が知ってる。神由来だからだ。

視点が大事だ。ムージさんの高速道路のワイパーの話にもあったように
ワイパーや大雨(幻想の世界)へ囚われるのではなく、真っ直ぐな道
(真理への道)を見るということ。

愛とは 何かではなくて、 全て。なのだな~


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by kokoro3heian | 2018-02-10 11:47 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト 第二章つづき

第Ⅱ章 分離と贖罪 つづき

ずっと感じていた心の痛み。ヒリヒリしたもの。

それは、職場の人のキャラクターによるエゴだったのだけど、それは私が嫌だ!と
思っていたもの。
それを私は両手に持っていた。
嫌だ!と思うモノは鉄のように熱くて、両手はヒリヒリしていた。
それでも持っていたくて(持っていることに慣れ過ぎて気づかない)。
持っていたことに気づいたので、それを聖霊に渡した。
聖霊は「あっちかったべ~~~?」と笑い、私も笑った。
苦しみは、そういう「嫌だ!」というモノに気づける絶好のチャンスなの
だな~~と思った。...苦しみを選択しているのは...自分...?

聖霊のユーモアや、思いがけない展開に笑えたり、心が軽くなり
気持ちがよくなる。
聖霊とつながれないほどに怒りや不満があるときは、つらい...

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by kokoro3heian | 2018-02-08 20:50 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト 第二章つづき

第Ⅱ章 分離と贖罪 つづき


2つの誤り... ●心が肉体の中で誤った創造ができる (ストレスが病気の原因って感じ?)
       ●肉体が心の中で誤った創造ができる
        (肉体には何もできない。本能や反射神経というものはないって書いてある)

どちらも心が制御できない創造能力が物質の中にあるという信念。
治したり、病気になったりするという魔術的な考え。

そうなると、病気なんてなるわけないんだよね。
そもそも肉体なんてないんだし。この世界のでっちあげなんだし。

奇跡の意味を間違ってつかっているのかもしれない。

「心が誤って創造したものは、本当は存在しないからである。」




きのう、職場の人とのやりとりで、怒りが爆発した。
みんな病院の方を信じるんだな!みんな父母とおんなじだ!と憤慨した。
聖霊に祝福を受け取れるようお願いしたりしたけど、おさまらなかった。
テキストを読めば何か変わるだろうか... そう思って読み始める...

「自分が傷つきやすく弱いものだという感覚をもっている間は、あなたは
奇跡を行おうとすべきではない。」

こうなったらいいのに。と、思ったから苦しかったんだな。
みんなに良くなってもらいたいし、笑顔になって欲しい。
けど、私の起こした行動は、神の計画ではなかったんだな。
エゴの計画じゃ、上手くいく訳ないもんな~...

きのうは、理解しない人達みんなを敵として攻撃したり、しようと
していたんだな。
単に正しい心の状態自体が癒しであると気づいてない人。
ただそれだけのことなんだよな~~~~~。
これが、拒絶されたという痛みとして受け取ってしまうのが苦しみになるんだけど。
手離せばいいのに!
恐れなんだよなーーー。

これは、繰り返していることかもしれない。
きのう、あったばかりだ。
この時ほど苛立ちはなく、すぐに聖霊に渡したけど...
思い込みが、何度も繰り返し出てきているように思う。



       
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by kokoro3heian | 2018-02-08 18:49 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト 第二章

第Ⅱ章 分離と贖罪

「病とは何らかの形の外的探究である」

外に答えをみつけようとする、ということなのかな。

わたしは神に属さない何かが、自分や人に影響を及ぼすと信じて生きている。
(時間というものを信じて生きている)
このように生きることを信じ、つくりだしている。
これは価値を置く対象が間違っている。

空間でさえも幻想なの? うーん... 
でも、そういえば 心には空間もないかも。

信じることは見ること(神とひとつになること より)
幻想を信じているから幻想が見える。
元が幻想だから幻想を作り出すことしかできない。
目(肉眼)に見えることは全部幻想だ!と、いつも気づくこと。
いやいやこれは違うでしょう...と思いたくなるのは、やっぱり幻想を
信じているから。
今の私は、幻想を信じているから真理を信じていない
ということになるな...
常に恐れがある。

コースに出会えたのは、真理を信じようとしたからだ。
コースのワークブックを終えられたのは、真理を信じようと選択肢したからだ。
コースを続けていられるのは、真理を信じたいと決断したからだ。
(お金がなくなってどこにも出掛けられなくなったからではない!)
(...けど、どこにも出掛けたくないのは確かだ。お金に余裕がないからすることがないのも確かだ(笑))

ずっと これしかやることがないし...という感じだったけど、すべてが真理への
導きであって、私は手を差しのべられていたのだな ずっと。
どうしていまのこんな状況になったの?と、悲しみや情けなさや苦しみを感じて
いたのだけれど、そんな時に聞こえる言葉は「これでよい。この方がよい。」
という力づよい意志のような答えだった。
これは、どんなときも同じ答えだった。
そんなことが受け入れられずに落ち込みが襲う。
何度も何度も「これでよい。」という力づよいハートのメッセージに、
だんだん楽チンになり、私は明るい鬱なんだな、と思うようになった。
この導きが、本当の謙遜へと向かっているように思う。

不平不満はいつもあったし、そのせいで人も責めたけど
いつも私は手を差しのべられていて、いつもいつも導かれていたんだ...

心から ありがとう と、言いたい。

 ありがとう



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by kokoro3heian | 2018-02-07 20:51 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト 第一章

第Ⅰ章 奇跡の意味 つづき

「神からの分離という感覚だけが、あなたが真に正すべき唯一の欠乏である。」

...
そうだよね。欠乏感が、私が幻想をつくる原因だものね。
原因は他にあるような気にさせるけど(エゴは)。
でも、原因は私が欠乏感を現実にしようとする無理な試みであって、本当は
存在しないということになる。
けれども、それがとっても恐ろしく感じるものだから、世界(幻想の)を作り出し
てきたんだなぁ。

その恐ろしさを、神を思い出すことで、軽減されていく。
「大丈夫だ」「安心だ」が増えていくんだ...。

そして、最後に神へ帰る。

それが、シナリオ。

そういえば、大きな気づきが始まった時、この世界は仏様の大いなる
シナリオなので、お任せすれば大丈夫。ちっぽけな(一部でしかない)自分が
そのプロセスを把握するには、あまりにも膨大なデータだから知る必要なんか
ないんだよ。って、知ったんだっけ。
その時は、すごいーーーー!これ!その通りだ!と、あまりにも興奮して
友達に伝えたんだけど、反応薄くて あれ?やっぱり私って変なのかな...
って思ったっけ。
でも、どうしてもそういうことを分かち合いたくて、出逢いが広がっていった
んだっけ...
でも、いろんなツールに行き詰まりを感じて、動けなくなってしまった いま。
そのツールや出会い全てがシナリオのひとつだったんだなぁーーーと、思える。
何一つ持続しなくて嫌になってたけど、それでよかったなーーと、思う。

とノートに書いてる横で夫が、きのうみたTVでの気づきの話をし始めた。
親鸞が言ってることの解釈を人は間違えてる、と言う。虫一匹も殺しては
いけないという仏教の教え。
人に暴力をふるうVTRを見せると人々は嫌がるのに、家族を傷つけた犯人を殴る
VTRにすると快楽を感じたという。
「正当防衛になると、人は暴力さえも正しくて、人はいつも正当化しているんだ」
と、伊集院光が言っていたんだそうだ。
いっつも人は正当化しているんだな。人に罪をなすりつけているんだな。
ということだった。

気づきがシンクロした。

コースはね!キリストはね!と、わたしがコースの気づきを話しはじめたら
嫌がっていなくなった....

なして共有しようとせず、上から目線で話そうとするんだべ...
と、反省...
(けど、このときはあまり反省していなかった(笑) そして、いま(2月)そのことで
夫と大喧嘩してしまい、わたしはあまり話をしていない。出来なくなった。
どうしても、自分は悪くない、と正当化してしまうからだ。)



癒しにはレベルが存在する。カタチも方法も存在する。
究極的には、何もないけど そのレベルには存在する。

私がそれを信じているからだ。
つくったものを信じている。それは神と似ているからだ。
般若心経も、まったく違う解釈が出来る。
それは やはり レベルの問題だ。

今は、こんな気づきの状態だけど...とか、明日は仕事で...とか、今日は病院いくから
レッスンのメモ書きを持って...とか、この間のことは...とか...
時間とかではなくて、それはすべて「複数の異なったレベル」だったんだ!

「必要の序列という考えは、人は神から分離できるとする原初の誤りからの帰結であるが、
この考えはそれ自体のレベルにおける訂正を必要とする。それが訂正された後に、複数の
レベルというものを知覚する誤りが訂正できるようになる。
複数の異なったレベルで機能している限り、あなたは効果的に行動できない。」

レベルが違う人と話していても通じない。
私がレベルが高いというのではなく、私の見ている複数の中の1つの
レベルをただ、認識しているだけ。
そのことに囚われたり、評価する必要はない。
囚われることで、私は効果的に行動できなくなってしまう。

神の通りに動けるようになりたい。 真理に沿って動けるようになりたい。
そうだ...評価なんて関係なかった。
すべては自分の違ったレベルを眺めているだけなんだから。

(うわ。いまの状況に対する答えが全部書いてある。...そうだ。違うレベルに気をとられて
自分の機能(ハタラキ)を忘れるところだった。 評価されたりしたりしてる場合じゃない。
いまの状況は、単に赦す場面(レベル)が現れているだけなんだった。
...これで聖霊に預けることができるかな...  ふう...   

私が空間や時間を信じているから、混乱して、エゴの意味づけを信じてしまうんだな。
辛いときには、いつもエゴを信じている。苦しさから抜け出すには、深呼吸して聖霊の
意味付けに耳を傾けるようにしよう...

できるかな...?ではなくて、できるために(このハタラキをするために)起きていること
なんだな。)




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by kokoro3heian | 2018-02-05 10:37 | 癒しへの道 | Comments(0)