ほんとうのこと

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カテゴリ:癒しへの道( 48 )

テキスト十二章 つづき

聖霊のカリキュラム

聖霊による判断 つづき


一つだけの救済が分からなくなる。
それだけを求めることが出来るようにすることがこのコースなんだろう。
そして、それ以外に求めることなんか ないのだろう。

他の人が、私にどんな態度をとったとしても、聖霊の解釈によって
愛の想念と恐れ(助けを求める懇願)だと教えてくれる。
だから、すべての人はみんな、同じ立場なんだと理解することができる。

これしかないんだ...
これだけなんだ...
確かにシンプルだ。

「恐れとはまさに、否認されてきたものを無意識の内に認識して、
愛を求めている呼びかけだからである。」

否定されると、ものすごく怒りがわいてくる。
悲しみの後すぐに やってくる。
これは、私が神を否定した原初の記憶に結びつくのかもしれない。
愛を否定した、という記憶。
この否定から作られた、この世界。偽りの世界を
私は見ている。
否定された時に感じるこの怒りは、愛だったんだ.......
神の愛だったんだ...

受け取れない、受け取っちゃいけないと感じていた神の愛。
底に隠してずっとこびり付いた、罪という考え方に支配されていたんだ。

「愛を隠蔽することだけが恐れの目的であった。」

愛と勇気と希望と豊かさがあるという夢 = 実相

起こる問題 = 実相への不信

「愛に対抗する防衛の1つひとつの根底に、愛を求める懇請が潜んでいる。」

憎らしいと思える相手に、どうやって愛を与えたらいいのだろうか?
私の中の恐れにどうやって気づいたらいいのだろうか?
苦しいから、ついつい早く取り除いて欲しいと願ってしまう...
私が答えに気づきますように。私が答えを思い出せますように。

願いは叶えられた。ここに全部答えが書かれていた。
私の理解が深まる度に、楽になっていく。
感謝。

どうか 誘惑を超えて 兄弟と共に 実相へと早く 到達できますように。



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by kokoro3heian | 2018-07-19 11:24 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト十二章

聖霊のカリキュラム

聖霊による判断

「誤りを解釈するとは、誤りに力を与えることである。」

鏡の法則とか 引き寄せの法則とか、ホ・オポノポノとか、
仏様の言葉、お釈迦様の言葉...

なるほどなぁ...という言葉は気づきを与えるし、そう思うけど
元に戻るというか忘れてしまう。日々の生活には、なかなか活かせない...
結局、何か人のためにやらなくちゃ 自分を変えなくちゃ という方向に
なってしまう気がする。
けれども、コースは何度も伝える
「真理はそれ自体で実在しており、真理を信じるには、あなたは何もする必要がない。」

エゴは反発するか、落ち込む。いい気分にならない。
けれどもコースを理解した分だけ、いい気分になる気がする。

確かに人のあれこれを考えると、自我の考えから抜け出せなくなる。
混乱して 聖霊の声は聞こえないし、コースのやってきたこと全部忘れて
分からなくなる。
動機を分析することで、自分の自我を巻き込むからなんだな。
おととい辺りから、聖霊に聞く 聖霊を巻き込む という風にしたら
ずいぶんと楽になり、混乱もしなくなった。

どんな形でも、すべての動機は、癒しと助けを求める心の叫びなんだな。
私が求めているのも助け。
彼らが求めているのも助け。 必要としているんだ。

攻撃の必要性と癒しの必要性。
日々、私はどっちを選んでいるんだろう。
混乱している時は、確実に攻撃が当然という壁にぶち当たり
ますます混乱しているように思う。

緊張感のすべては、拒絶...?

「神の助けを求める兄弟の呼びかけを聞きなさい。そうすればあなたは、自分自身が
父を必要としていることを認識するだろう。」

心の中の自分の実相を信じる気持ちを
妨げる障壁が取り除かれれば
自分の求めるものが現れます

自分の実相を信じることで
解決できないことはない

コースをやっている人のブログから一部抜粋
テキストのどこかの言葉かな?


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by kokoro3heian | 2018-07-19 10:57 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト 十一章つづき

神か、自我か


救いへの目覚め

信じる = 見る

lesson163を開く。
「死は存在しない。神の子は自由である。」

「復活の神が望むのは、犠牲と屈服の精神においてではなく
自由の悦びの中で、あなたが自分の意志を学びそれに従うことだけである。」

わたしを傷つけ、卑しめ、怖がらせる すべてのものから立ち去ろう。
わたしには、立ち去る自由がある。
神の恩寵を受け入れ、わたしは贖われる。

神よ、私は「痛み」から自由になりたい。

lesson10を開く。
「私は、何も今あるままに見ていない。」



実相の状態

真実を区別できないと苦しいな。と、思っている私が苦しみを選んでる、気がする。
ん? この状態だと気づきはないな。
区別できない...と、そう思う必要もないってことか。
それすらも意味ないことなのかも。

「実相世界を知覚できると信じることは、自分自身を知ることができると
信じることである。」
「実相世界とは、あなたが作り出したものの中から、聖霊があなたのために
とっておいてくれたもののすべてである。これのみを知覚することが救済である。」



問題と答え

「私は問題を望んでいるのだろうか。それとも、答えを望んでいるのだろうか。」
「答えを求めると決めなさい。」

問題に囚われて苦しくなったので、ワークブックのlesson80を見る。
何度も「80」という数字を見たため。
「私の問題がすでに解決されていることを認識できますように。」

何度も何度も答えは与えられる。

「神の子に何でも求めなさい。そうすれば、彼の父があなたに答えるだろう。」

兄弟の中にも私は在る。
兄弟の中にこそ、神は在る。

彼の愛の想念だけを見る...

「だから、あなたの兄弟の実相について学びたいと求めなさい。」

彼の美しさの中に映る 自分の美しさを見る

マニュアルを読んで「そうか」と納得した。
その都度修正が必要なんだな。何度でも何度でも引き上げてくれる。


「彼の分裂した心はあなたの分裂した心だからである。そして、あなたは
彼の癒しなくして自分の癒しを受け入れることはないだろう。」

分裂した心を受け入れてはならない。
兄弟の中の憤慨させるものを、自分の心から引き抜く。
私は自分に憤慨している。私は、キリストに憤慨しているんだ。
理由は「無」というもの。けれども私は「無」を信じている。
だから怒りが沸き起こるんだ。
「無」を幻だと信じている時、心は平安だ。
無を信じ切っている人に、無はないと言っても分からないし、
混乱するだけだ。
すべては聖霊の導きを通して...
聖霊の癒しの力を受け入れ...
すべての咎めから救ってもらおう。

私が怯えているものの正体を聖霊に尋ねよう。
それはなんつーことのない、笑える出来事だから。

自分の恐れを 真理へと取り替えてもらおう。

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by kokoro3heian | 2018-07-12 17:21 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト 十一章つづき

神か、自我か

自我の「力動論」 つづき

分解することによって全体性を理解しようとする試み ⇒ 自我特有の矛盾したアプローチ
自我は、力と理解と真理が分離の中にあると信じている。
比較という概念が生まれて、攻撃せざるをえない。調和は脅威。

しかし、これは不可能。ありえない~~ なんだけど、自我の世界を信じて どっぷり
浸かっているので見えない。
お互いを見て「分離はない」と信じ合うことで、それが見えるのかも。

本当は繋がっている。力に包まれている。愛は力。愛は強さ。
自我は、何を否定したのか?


私が神を否定した。
質問も答えも、すべてはわたしの心の中にある。
わたしの心の中に、質問と答えが同時に寄り添っている。
神の子を受け入れる、というのは、そのキャラクターを受け入れるというよりも
そのキャラクターは自我で、その人を生かしている「いのち」を見て
キャラクターやら装飾品のすべてを赦す(無にする)という感じなのかな。

「あなたが出会う兄弟の1人ひとりは、彼の中にあなたが何を知覚するかに
よって、キリストの証人ともなれば、自我の証人ともなる。」

「あなたが知覚する一切は、あなたが真実であってほしいと思っている
思考体系の証しである。
あなたが自由になることを選ぶなら、兄弟の1人ひとりに
あなたを解き放つ力がある。」

「あなたは自分自身の声だけを聞くのであり、もしあなたを通してキリストが
語るなら、あなたはキリストから聞くことになる。」


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by kokoro3heian | 2018-07-06 10:17 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト 第十一章  つづき

神か、自我か

癒しへの招待

「癒しは理解することを学ぶためのレッスン」



闇から光へ

「苦痛は神からのものではない。」

葛藤 ... 神を攻撃している。神の子を攻撃している。
     神の子とは、わたし、そして あなた。

それは、盲目で、攻撃の相手が見えない。
真理とは、とてもクリアで知らないことは何もない。

神か。自我か。  光か。闇か。

ふと、なんとなく気づきはあるけど、それをどう書いたらいいか
分からない。峠を越したような、そんな感覚。


神の子が受け継いでいる賜物

「あなたを何から救済されるのではなく、栄光のために救われるのである。」
人を責めたくなった時、誰かに転嫁するのではなく、聖霊に取り消しを
願うこと。それで罪悪感は消える。非難は別のどこかに転嫁してはいけない。

非難 → 自我 → 自我と同化

非難ではなく賞美する。


自我の「力動論」

「幻想を直視しない限り、誰も幻想から逃れることはできない。見ないで
いることにより、幻想が保護されているからである。」

今日は、ボランティアで、怒りを直視することになった。
怒りとの対峙。エゴを見つめる。
うーーん... 光は見つけられたのかな? 聖霊にお願はしたけど...

依存はいけないこと...うんざりすること...悪いこと... そんな感じがする。
自立することが良いことだという認識があるけれど、それが分離を生み出して
いたのか...な。 そうだよね。たしかに。
けれども、依存はいけないことだと育ってきたように思う。
混乱してるな... 恐れもすごく感じる...

違う。依存はいいことだと育ってきたんだ。 そこから離れることが
いけないと感じていて、それが罪悪感だったんだ。

憧憬... あこがれ

苦手な人がいるんじゃない。青の人に私が反応していて、その反応している
自分が嫌だったんだ。
それを実感した日だった。

ボランティアのときの、嫌な経験が思い出される。
何度やっても上手くいかないと、なんでこんなにへたっぴなんだと
悲しくて怒りになっている。
なんでちゃんと教えてくれないの、だの、なんで押し付けるの、だの
周りを責めようと躍起になる。ああ...まさにエゴだ。

自我の自立の夢 = 恐れ  この恐れが分離を支えている

ということは、このリフレインは恐れによるもので、
(確かに恐れの感情がエゴだと分かる)これが分離を支えているのだよな!

「しかし、神の機能があなたの機能であり、幸福は、あなたと神の共同の
意志から離れては見出せないということをあなたは知ることができる。」

聖霊の教えをもっと知りたい。真実と偽りを区別できるようになりたいな。

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by kokoro3heian | 2018-06-15 11:24 | 癒しへの道 | Comments(0)

第十一章

神か、自我か



「私の父は誰なのか」

思いだそう

今の自分は、自分以外を裁いた結果なんだな。
それで、どんどん どんどん 落ちていく感覚を味わっている。
ここから抜け出せるかな...
鬱的な部分を持っていると、信じている私から...


父性という贈り物

苦しい時は、選択が間違っているのだけど、苦しいゆえに
焦ったり、もがいたり、泣いたり、動揺したりする。
苦しい時は、じっと受け止めて あとは軽くなり、好きなことを
した方がいいみたいだ。私の場合。

感情は、しっかり今味わった方がいいと“「今この瞬間」への旅という“本に
書いてあった。
感情は、解放のチャンスがここに現れたものだから、味わうと
流れていくものなんだと。

否定すること = 知ることをしない
「あなたが神の子であるということが神の意志である。」
神の意志とは?
先延ばしをする必要なんてないのにな。

なんて思いながらワークブックを開く
開いたところは、lesson165
私の心が、神の想念を拒否しませんように。


「時間の中でさえ、あなたは神から離れて生きることはできない。」

鬱は、幸せになることへの抵抗
この世界には~~すれば良いという答えはない。
「答え」は、ただ神の中にある。心の中にある。
すべてのことが神の意志なら、うまくいくに違いない。
聖霊は神を代弁する声。
信頼できる。

神の意志を共有する。
「あなたは神の意志を恐れているが、その理由は、それが自分の
意志ではないと信じているからである。
この信念が、あなたの病気の全容であり、あなたの恐れの全容である。
病気と恐れのあらゆる兆候がここから生じる。」

なるほど!これが、思い通りにならないという不安、不満、恐れだ!!

「だからこそ、癒しとは、あなたの意志は神の意志だという
認識のはじまりなのである。」


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by kokoro3heian | 2018-06-13 18:25 | 癒しへの道 | Comments(0)

第十章 つづき

病気という偶像


神の否定

崇拝してはならない。
戻るべき道を目指し、導くものの答えを聞く。
ゆだねるけれど、やるべきことは私。

私は、父から分離されたと思って憂鬱になり、憂鬱を投影してこの世界を
つくり、この世界を信じることにより、どんどん投影するものを増やした。
私はこの世界を宝物のように持っているが、それは幻想で夢のようなもの。
私が宝物から目を離せば、それは消えてなくなる。
けれど、消えてなくなる幻そのものだと勘違いしている私は、「消えてなくなる」
という恐怖を感じている。
そんなものは本当はありえないのだけど。
宝物から目が離せないのは、その恐怖を感じるからだ。

「あなたが神に対して罪を犯すことなどできないと知っている神が、
あなたを助けてくれるだろう。」

「あなたが神は自分の呼びかけに応えてくれなかったと思うときは、
あなたが神からの呼びかけに答えていないのである。」

私は自由。心は自由。

「なぜなら、あなたは自分が知覚している病んだ形象を、神の子らだと
信じているからである。」

私がそう信じているから、そんな人が見えるんだ...


物事から許す、のではなくて、そこに感じている罪悪感から解放する...
というのが赦しかなぁ。

「時間を超えたものだけを実在のものとして受け入れるなら、あなたは
永遠を理解し始め、それを自分のものとするだろう。」


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by kokoro3heian | 2018-05-23 11:12 | 癒しへの道 | Comments(0)

第十章

病気という偶像


外ばかり見ていると心がおざなりになるけれど...
内ばかりみていても、混乱するだけだ。
降参するしかないのだけど、それすらも分からなくなる。
天に架けた橋を、どこだったか...と探すみたいに。

探さなくていいのか。それは、いつもいつも用意されている。

そういえば、今日、願いが叶う方法を思い出した、という夢をみた。
それはとても簡単で、ありきたりのことなんだけど、すぐに忘れてしまう
という難点があった。
本当に簡単だったんだけどな~~...。
どうやら今はマニュアルに書いてある「不安定な時期」のようだ...



神の内なるわが家にて

エゴは手柄が欲しいのだ。
知りたいという気持ちでテキストを読むとつらい。
けれども、読んでいれば思い出すのだ、という確信で読もうと思う。


忘れるという決断

「あなたは忘れてしまったからこそ、恐れている。」

解離させたこと自体を恐れている...

否定しているのは誰か? 私。
他人のように見えても、私が否定している...

ただただ赦す...



病気の神 ~ 病気の終わり

病気が存在するかどうかは、自分で選べる。
他のものも全て。
神を選ぶのも自分。
けれども、神をつくりだすことは出来ない。
神と神の子がいるだけ。それだけ。
神が私の幸福を願わない訳はない。
その神を信じよう。もし...という狂った考えは捨てよう。
もし とか でも とか言う度に私は神を攻撃している。

「神の法則はただあなたの益となるように働き、神の法則の他に法則はない。
その他のすべては単に無法則であり、すなわち混沌である。」

他の法則は存在しない。妨害を手離す...

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by kokoro3heian | 2018-05-23 10:56 | 癒しへの道 | Comments(0)

第九章 つづき

贖罪の受容

二つの評価

読むのが苦しい。読んでも正しい心の状態にならない...
普段、いつもこういう状態なのだろう。
エゴの抵抗を強く感じる。

「救済を求めて遠くを探す必要はない。毎分、毎秒が、あなたに、
自分自身を救う機会を与えている。」

神の壮大さを感じられる地点から、エゴによって卑小さにつられる...
引きづられる...と感じていたけど
コースには「誰がそれを許可したのか」と書かれている。
誰が許可したかと問われれば... 私しかいない119.png

「私がいなければ神ご自身が不完全である。」

ああ。そうだよね。正しい心の状態にならなければ、残念に感じる。
それは神も同じ。



壮大さと尊大さ

エゴは考え方が攻撃的。
真理は優しくてやさしくてかんたん やわらかい。
それが壮大さ、かもしれない。

「あなたは神の心の中以外のどこにも居られないということを
いつも覚えておきなさい。これを忘れるとき、あなたは必ず絶望し、
攻撃することになる。」

私が不幸なのではない。癒されていないだけだ。
神の癒しが必要なだけだ。

壮大さ = 自我に対する神の答え

壮大さを見ようとする意欲...

あ~そうか。自我をしっかり見なきゃいけないとどこかで思ってて、
グルグル巻き込まれてたんだ。
私がしっかりと見なきゃいけないのは真理だ!!!
そうだよ~ 間違ってたよ~
しっかり真理を見て、エゴは幻想だからサヨナラ~~で良かったんだ
よね?

感情は生もの。味わうだけ。理由はない。
それを聖霊に伝える。
霧が晴れるように真理を教えてくれる。
受け取れていない気がしたとしても、うまくいかないように思えても問題ない。
エゴを見ても、聖霊と共に透過する。
そこに問題はないのだから。


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by kokoro3heian | 2018-05-23 10:29 | 癒しへの道 | Comments(0)

第九章 つづき

贖罪の受容

聖霊による赦しの計画

今は土台作りなんだな~~...と感じた。
真理を腑に落とすには土台が必要なんだ。
それにしても、批判とか...エゴにとらわれやすいな~最近。
とらわれている事に気づいた...ということなのかなぁ。
つらい。何もしたくない。お金がなくてもできること沢山あるのに...
夢はある。けど、それに対して何もしたくない。
何もできない...
言い訳ばかりがうずまき、人を責めたくなる衝動にかられる。

と、書いてからテキストを読んだら
「あなたの知覚を誤りの上にとどめてはならない。」だって!
まったく その通り103.png

「あなたは自分の能力を自我の目を通して見てはいけない。
そのように見るなら、あなたも自我のように、自分の能力を
裁くことになる。あなたの能力の有害性はすべて自我による判断の
中にある。」

そうだ!いろいろとうかぶネガティブなことはエゴの抵抗であり、神と
ひとつに戻りたいという心の叫びなのだった!

苦しい時や重苦しい気分、嫉妬、落ち込み、こんな気持ちの時は
「私」が何かをしようとしている。やろうとしている。やらなければ...という
間違いをしている時だ。
完璧な聖霊にお任せしよう。ゆだねて安心しようと奇跡を願う時、その状態に
なるのかもしれない。




癒されていない治癒者(ヒーラー)

反発している...ということは、それ(エゴ)を依然として信じているということ。

「神が「光あれ」と言ったとき、光は現れた。」
「闇を分析することによって光を見出せるだろうか。」

分析は魅力的だ。けれどそれはエゴの解体でしかない。
幻(ありえないもの)を解体・分析しても、それを信じるという狂った
証をみつけているだけになってしまう。

光は彼からのものではない
光は彼のためのもの
聖霊だけが唯一の治療者(セラピスト)である。

「善なるものだけが効力をもち得るのである。それ以外のものは
まったく効力がない。」



兄弟を受け入れる

あ~~~...最近の状況からすると、すごい抵抗感~~~~~!!
この抵抗感は神への愛の叫びなんだよね!?
エゴはコレをねじまげちゃうからな~~~~~!!

    ...... テキスト読も。

幻想に意味をもたせようとする兄弟に引っ張られてたけど...
聖霊が良い結果をもたらすなら...うん、もたらしてる...
不安になっても聖霊の方の導きを信じればいいんだ。
って、思うけど。不安になると聞こえないんだよな~130.png

恐れを信じることになるからな...
2つを一度に信じることはできないんだものな。

与えることは 受け取ること
私がこれを理解することができますように


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by kokoro3heian | 2018-05-22 17:10 | 癒しへの道 | Comments(0)