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ほんとうのこと

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カテゴリ:癒しへの道( 112 )

テキスト 二十一章 つづき

理性と知覚

視覚に対する責任

私は正しいことをしているか... いつも振り返って確認し、大丈夫?って
考えて行動していたけど。
私は狂ってるんだ^^;
過去を確認しても、意味ないよね... 狂ってるんだもの。

難しいと感じるのはエゴ目線だからなんだね。
本当は、ほんの少ししか求められていないのにな...
ささやかな意欲か...


私が見ているものについての責任は、私自身にある。
私が経験する感情を選択するのは私自身であり、
私が達成したいゴールを決めるのも私自身である。
そして、私の身に起こるかに見えるすべては、私が求めて
求めた通りに受け取るものである。

私は無力なのではない。間違っていただけ。
偶然や偶発性はない。

ものすごく不安だったけど、軽くなった。
すべては良くなるためのもの。ぜったいに!!

今見ている世界を持ち続けたくない!
ささやかな捧げものを拒んではいけない。
間違いを訂正してもらうために。

「ここで、あなたの望まない世界が望む世界へと運ばれていく。
そしてここで、あなたの望む世界が、あなたがそれを望むがゆえに
あなたに与えられる。」

・聖なる瞬間に、この交換が達成され、維持される。
・自分の望むものは必ず叶えられる。

・私は世界を作り出した強さがある。
 それは、世界を手放すことができる証拠。

私は間違ってない!って言いたいんだよな~~
恐れを感じる。
それが外に投影されちゃってるんだな~

「自分は何も信じてないと思ってはならない。」

みんなここに居場所を探している... けど、ここにはないんだ...

私たちの居場所はここにはない。帰りたいけど、帰り方が分からないんだ。
それを隠してしまう「欲望」もあるし。

『気を楽にして聖霊に任せればいいんだよ』

どんなに咎めたくなっても、それは必要ない。
心の中に... 居場所はある。

「聖霊はあなたに、聖性に対する信と、それを見ることのっできる
心眼とを、充分にたやすく与えることができる。」

難しいと感じる。
私は特別だ と思いたいんだろうか。
愛に飢えているようにも感じる。
喜びを求めること... 心から喜びを求めること...

「あなたに求められているのは、ただ真理のために場所を
開けることだけである。」

・聖性を中に入らせること
・自ずと起こることに干渉するのをやめること
・自分で捨て去ったと思っていたものの存在を、再び認識すること。

「聖なる瞬間とは、創造の瞬間ではなく、認識の瞬間である。」

・認識は心眼と判断の停止から訪れる

「信と欲求は相伴うものである。なぜなら、誰でも自分が望むものの
存在を信じるからである。」

「望み通りになるという思考が、自我が自分の望むものを実現させる
ために用いるやり方である。」

最近、ほんとに混沌としてたな~...

・私は自分を自分で創造しなかった
・私の見ている世界は、私が作り出した

「あなたの創造主によって創造されていないものは、あなたに
何ら影響を与えない。」

この世界が私を作っているのではなくて、私が世界を作ってるんだ!
反応や感情の原因は外にはないんだ!!あると思っている私が
作り出したんだ。本当はないものだけど、そう見えるようにしたんだ。
ひえ~~~ またどっぷりはまってた~~~

「あなたと兄弟との間に立ちはだかり、互いを切り離し、父から
分離させているように見える一切を、あなた自身が密かに作り出したと
認めなさい。」

周りの人は皆、人類は皆 神が創造した神の子なんだ...



by kokoro3heian | 2019-07-07 17:09 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト 二十一章

理性と知覚


・投影が知覚を作り出す。
・私が見ている世界は、私が与えたもの。それは私の心の状態。
・人はその心に思うごとく知覚する。
・知覚は結果であって、原因ではない。
・心眼を通さずに知覚されるものは何も意味しない。
 そして意味のないところには混沌がある。
・あなたが災厄や破局を見ているなら、あなたは神の子を十字架につけようとしたから。
 もしも聖性と希望が見えているなら、あなたは神の子を自由にしたから。
 このことから、自分がどちらを選択したかが認識できる。

「だから、世界を変えようとするのはやめなさい。
そうではなく、世界についてのあなたの心を変えることを選びなさい。」


「あなたに見えている世界は、どれだけの喜びをあなたが自分の中に見て、
自分のものとして受け入れることを自分に容認したかを、あなたに示しているに
すぎない。」

世界に喜びを与える力はあなたの中にある。


忘れられた歌

私は職場のことですごく不安を抱えている。ここ(職場)ではなく、別のどこかで
夢を叶えたいと思っている...
けれど私の推測は間違っているのかもしれない。
私は喜びの世界の扉をみていないのだ...

「苦痛を通して学ぶ必要はない。柔和なレッスンは楽しく習得され、喜んで記憶される。
あなたは自分に幸せを与えるものを、学びたいと思い、忘れまいとする。」

私が不安なのは、この道が合っているのか、ということ。
ハードな仕事が続くことや、職を失うのでは?とか。
この職でいいのか?ボランティアはどうするのか?イベントへは参加できないのか?
人と会うのも嫌になっているのに...鬱っぽいのに...とかごちゃごちゃ...

そう、それは
「このコースを学ぶ手段が、コースが約束している喜びをもたらしてくれるかどうか
という点である。」
その疑いが不安を生み出している。

「あなたは思い出せる。だが、思い出せば、これまで自分が学んだこの世界を失う
ことになると信じて、恐れているのである。」

私は知っている。 肉体ではなく心眼を。
そしていま、盲目の人達にも見える。

「ひとりの中の光は、すべての者の中のその光を目覚めさせる。
そしてあなたが兄弟の中にそれを見るとき、あなたはまさしくすべての者の
ために思い出しているのである。」


by kokoro3heian | 2019-06-17 11:33 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト 二十章つづき

聖性の心眼(ヴィジョン)


無罪性の心眼(ヴィジョン)

私は本当のことを知りたい。疑いを確かさへと交換したい。
苦しみを喜びに変えたい。つらさを奇跡へと変えたい。
不幸から自由になりたい。

「あなたの神聖な関係はこれらすべてをあなたに差し出す。それがあなたに
与えられたように、その結果も与えられるだろう。」

「そして、手段にしても目的にしても、自分で作り出す必要があると
思ってはならない。ただ兄弟を罪なき者と見ようとするために、これら
すべてが与えられる。」

心眼(ヴィジョン)を受け取りたい。そう思うだけ。 それが祈りか...

「あなたが聖霊の心眼で眺め、聖霊と共に喜ぶようにと、光の中に輝く兄弟の
無罪性があなたに与えられている。」

キリストが私の前にあらわれて、 全部夢だったよ。兄弟やあなたに罪なんかなかったよ。
ほら起きて、と優しく語りかけてくれて目覚められたらいいな。

越えていかねばならない。 そのレベルに留まることなく越えてゆけ!

「あなたには、肉体を見ないでいることを可能にする心眼がある。」

「裁きはあなたの救済者を弱き者にするように見えるだろう。だが、彼の強さを
必要としているのはあなたである。」

・心眼により解決されない問題はない。すべてが救われた状態で見える。

愛の法則で生きていないから、裁いたり不満が出てくるのだな。

「幻覚はその正体が認識されたときには、消え去る。これが癒しであり、治療法である。」

私は罪を見ている。それを正さなければならないと思っているから。
自分が裁かれるのが怖いからだ。

・心眼とは、間違った考えが投影されたものを正しく翻訳する手段。

「あなたは神が神の子に与えた聖性を見ることができる。」



by kokoro3heian | 2019-06-12 12:56 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト 二十章つづき

聖性の心眼(ヴィジョン)


聖性の神殿

「肉体とは、関わり合いを通して権力を求めるために自我が
選択した武器である。」

愛は権力を求めない。
私は神聖な関わりだけを求める。
そっか。それ以外は無だ。正当化しなくていいんだ。
私は恐れを信じていて、愛からのがれた所にいて 安全だと
思っている。けれども、つらくてつらくて どうしようもなくなっている。

私は兄弟の中に恐ろしいものを見ている?
それが安全だと思っている.....?

「聖霊の目的は、あなたの肉体の中にではなく、あなたの関係の中に安全に
保たれている。あなたは肉体から脱出したのである。」

「あなたが居るところに、肉体は入ってこられない。
聖霊がそこに自らの神殿を据えたからである。」

・神聖ならざる瞬間に時間が生まれた
・幻想に実在性をもたせるために肉体が作り出された

「あなたはこれを、聖なる旬かっkの永遠の祝福とその限りない恩恵の
代替として望むのだろうか。」

いいえ。望みたく在りません。

「それならば、肉体を脇に置き、あなたが真に望むものを歓迎して
上昇することにより、静かにそれを超越しなさい。」

「ここで彼には、肉体を賞賛しながらこの瞬間を過ごすか、それとも、
肉体からの自由を自分自身に与えることにするかを選ぶ機会が与えられている。」

「ここにおいて彼は、以前に選択した神聖ならざる瞬間と入れ替えるべく
彼に差し出される聖なる瞬間を、受け入れることができる。そして、
ここにおいて彼は、関係とは自分の破滅ではなく救済であると、学ぶことが
できる。」



手段と目的の一貫性

・聖霊によって目的を変化させた後に伴う不快感は、聖霊に手段を任せることを
拒否している証拠。

...うん。あんなに奇跡を見たのにもかかわらず、『日常になってしまうと
それがまた恐怖に変わる。
任せることが怖くなってしまう。大丈夫なのか?と疑ってしまい、自分で
何とかしなくては!と恐怖を回避したくなる。

「ゴール達成のために、聖霊は本当にわずかしか求めていない。
手段を与えるにあたっても、それ以上を求めてはいない。」

・私は本当は目的を恐れている。
手段が難しいという考え方は間違っている。

何度聞いてもそう思えない。難しさに序列はないって読んでても...
実感してるはずなんだけどな~~

・手段が不可能だと思うとしたら、目的を望む私の気持ちが揺さぶられたということ。

・ゴールは到達可能。ということは、手段も同様に可能。

「そしてあなたが、肉体を見ているなら。あなたは心眼(ヴィジョン)ではなく
裁きを選んだのである。」

「実際には彼を罪深き者として見ているのではなく、まったく見ていないのである。」

見ていない!!

「私は本当に彼を罪なき者と見たいだろうか。」

・これが私自身の恐れからの脱出、救済、その手段は心眼(ヴィジョン)。



by kokoro3heian | 2019-06-02 10:53 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト 二十章つづき

聖性の心眼(ヴィジョン)


永遠の前触れ

まだ私は思い出せない...という悲しみ。
それは、時間というがつくりだしたもの。
時間をそういう風に使ってはいけない。
時間は、神を思い出すプロセスを ただ映し出しているだけ。

「あなたの神聖な関係に平安あれ。」

「自分にとって不可視のものを裁いてはならない。そのようなことをすれば、
あなたはそれを決して見ることはないだろう。そうではなく、それが訪れる
のを忍耐強く待ちなさい。
あなたが兄弟のために平安だけを望むとき、兄弟の真価を見る機会が
与えられるだろう。」

「あなたと兄弟の両方の中にある贈り物を見ている存在(もの)が、
あなた方両方のために、それを差し出し、受け取るということに、
信を抱いていなさい。」

「安心していなさい。そして、聖霊があなたを愛のまなざしで見守り、
自らの見ているものに絶対の確信を抱いていることを感じなさい。」



by kokoro3heian | 2019-06-02 10:07 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト 二十章つづき

聖性の心眼(ヴィジョン)


箱船に乗り込む

私は自我の法則のとおり、”与える通りに失う”というやり方をしている。
けれども力は、神からのものなので自我に力はない。
罪に力はない。

いつも意地悪な人に傷つけられた。という考え方になってしまう。
けれどもその人には力はない。罪に力はないのだから。罪を着せられても、罪に力はない。

罪に力があるように見えていた...

恐れの感情が、それを隠してしまう。死や病気は、どうやっても防げないように感じるし、
裁きを受けたようにも感じる。

聖霊は”与える通りに得る”ということを知っている。

「彼の中にこそ天国がある。」

何度も何度も言われるけど...そう信じたい...

「救済とは、聖霊の解釈に従って与えることを学ぶレッスンである。それは、
他の法則を自らの中に確立し、神が創造しなかったものを強化するための力をそれらの
法則に与えてしまった心の中に、神の法則を再び目覚めさせることである。」

ああ...本当に目覚めたい。

きのうの朝、たくさんの夢を見て起きた。夢の中で目覚めるなんてムリなんじゃない?
神が「起きろ~~~」って、ゆすり起こしてくれればいいじゃない!と猛烈に思った。
また寝そうになっても、瞼を思いっきり見開いてくれればいいじゃない!
けど...私たちは猛烈な眠気に勝てず、また眠ってしまうのだろうか...

神の法則... 

「自由を選択する者たちは、自由の結果のみを経験する。」

...今はまったく自由じゃない。肉体は囚われの身だ。
...けど心は自由じゃないか? 以前よりすごく楽になってる...
過去に囚われてハッとするけど、そこを何とかしようと思うことは
少なくなった。

「一見孤独にこの地上を歩む者たちの一人ひとりと、ひとりの救済者が
与えられており、救済者のここでの特別な機能は、その人を解放し、
それにより自らを解放することである。」

私は解放の難しさを前に、不可能を感じている。
聖霊の手助けがあれば、困難などないと信じられますように...。



by kokoro3heian | 2019-05-24 18:47 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト 二十章つづき

聖性の心眼(ヴィジョン)

調整としての罪

責めたくなる状況や責めたくなる人...物...
わきあがる怒り...

しかし この怒りの中にいては なにも解決できない。

『許せなくていいんだよ... それさえも受け入れて前へ進みなさい』

「いかなる種類の調整も、自我に属するものである。」

調整はいらないのか? 確かに怒りで、調整したくなって、昨日は意見した。
必要なかったか?けど...
怒りを越えて、聖霊に頼った結果だと思う...

私は真理を恐れている。
この恐れは真理に対してのものなのかな...
この状況は私の知覚が作り出したもの...

「これらのすべては、自分が行った調整によって恐ろしきものになった世界に合わせて
自分自身を調整しようとする者たちの、恐しき想念に他ならない。そして、彼らは
内なる悲しきものから、悲しみのうちに外を眺め、そこに悲しみを見る。」

これはすべて、自分に対して下した裁き...
私は自分を裁いたのか...!!

「そしてこの絵が自分の外にあって、自分はそれに翻弄されていると信じている限り、
あなたはその世界に合わせて自分を調整しなければならない。」

たしかに翻弄されてると思ってる。この忙殺されるほどの状況に恐れを感じて
調整しようとしている!

「あなたはこの吹けば飛ぶような狂気に、自分の非神聖な関係を求め、その
狂った答えに応じてその関係を調整したのである。」

そう...私は幸せじゃない...

「兄弟の中に、あなたの不滅性を永久に約束する神の光がある。
彼を罪なき者と見なさい。そうすれば、あなたの中に恐れはあり得ない。」



by kokoro3heian | 2019-05-21 22:20 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト 二十章つづき

聖性の心眼(ヴィジョン)

百合の花の贈り物

肉体のための装身具...

「そのすべては、あなたが憎んでいるものを麗しく見せるために作り出されたということを
思い出しなさい。」

「そうした贈り物は依然として彼の無価値性をあなたに宣言するものである。
なぜなら、彼がその贈り物を受け入れて喜ぶこと自体が、彼が自分自身に価値を
置いていないことを確認させるからである。」

えーーーーーーっ なんにもできないじゃん... それじゃ...

『あなたはムージじゃないんだから、いきなりそういうことを目指さなくていいんだよ。
ただ、聖霊に委ねるだけでいいんだよ。』

「彼に百合の花を差し出すなら、あなたは自らを自由にする。」

キリストは赦しを求めている。
キリストは私を赦してくれる。
百合の花で私を祝福してくれ!と願っている。
そうか...キリストは私だ。そして、兄弟もキリストだ。兄弟は私だ...

...そうだよね... みんな源に帰りたいんだ...!!
それが願いだ...

「私が赦され、あなたが神の子を全一なものとして見ることができる
ように、あなたは私のために、彼の友になってほしい。」

しかしまず最初に。
自分の中の祭壇を見る。私は天国(聖霊)を選んでいるか?
それともまだ地獄(肉体)を選んでいるか?




...ああ 最近忙しすぎて苦しい。自分がつくった状況とは思えない...。
聖霊よ!助けて!
どうしても兄弟を責めたくなるぅ... ぅぅ...

「あなたはすでに私を赦している。」

「神の子は、自らの解放を求めてあなたを頼っている。あなたはこの最後の
障害を見ても、そこに神の子を磔にして死の王とするための茨の冠も釘も見ずに
いられる強さを求め、それを与えられたからである。」

神の子は一度も十字架にかけられていない...

...本当に...?
責める必要も、責められる必要もない。
復活祭の歌は、それを繰り返す喜びの歌...
私に聞こえる...? 聞こうとしているだろうか...




by kokoro3heian | 2019-05-13 15:29 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト 二十章

聖霊の心眼(ヴィジョン)


聖習慣

私はキリストを憎んでいる。聖霊に勝ちたいと思っている。
いつもいつも... 肉体を感じているときは、そう、いつも。
祝うことができるだろうか。
祝福しなくてはと思うけど。すべての生命(いのち)のために。

今日から一週間、キリストの復活をみよう。

「彼は勝利のしるし、すなわち復活の約束を、すでに与えられて出発した。
彼が十字架刑の誘惑にさまよい込んで、遅れをとることのないようにさせなさい。
彼自身の無垢性が、彼の救いと解放へ向かう道を明るく照らし、彼が誘惑を
越えて平安のうちに進んでいけるように助けなさい。救いを目前とした彼を茨や
釘で引き戻してはならない。そうではなく、あなたからの純白に輝く百合の贈り物で、
復活への道を歩む彼の足取りを速めなさい。」

復活祭は、罪の代価ではなく”罪の終わり”の祝日



by kokoro3heian | 2019-04-24 13:26 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト十九章 つづき

平安の達成

第四の障害 ~神に対する恐れ~
i.ベールを取り去る


負けたくない、と言っているのは誰?
負けたくない、本当の相手は誰?
パンさんのブログより

いつもここで屈したくなくて抵抗する。こんなの存在しない。
しないのに!!
許せない。許すともっとひどい目に遭う、損をすると思っている。
エゴの強力な抵抗!!

...とみつめると ふっとなくなる。やはりエゴにそんな力はないのか...?
それともどこかに隠れたのかな?って思っちゃう。

贖罪って... ああ... 罪は存在しないってことなのか...
兄弟の役目って...
ああ... 罪は存在しないことを証明する人のことだったのか...

「あなたは自分が赦していない者たちを恐れる。そして、誰も恐れを傍らにして
愛に到達することはできない。」

兄弟は敵だろうか?それとも贈り物を与える人だろうか...?

「あなたは彼の罪を理由に彼を咎めたいだろうか。それとも、彼からあなたへの
贈り物を受け入れたいだろうか。」

「罪」とか「間違った考え」はすべて終わったこと。
その土台になるものは、もうないのだから。
それはすぎゆく“姿“ではなく、もう過ぎ去った“姿”なのだから。

「自らの選択に応じたものを彼から受け取ることになることを思い出して、
彼がそのどちらであるかを選択しなさい。」

罪を赦す力はある。私にも 彼にも。
それを信じる。救済者がいることを信じる。

エゴを選択して、彼に贈ったものが返ってくるとき、違う状態で受け取るので
被害者になってしまうんだ。本当はそれに意味はないんだけど、意味づけしている私には
ひどい仕打ちに受け取ってしまう。
けれども、ひどい言葉や態度や状況にはまったく意味はなくて、そこに
反応してしまうことでまたエゴを選択することに気づくことが大事なんだ。

「キリストの「敵」、罪の崇拝者たちは、自分が誰を攻撃しているのかを知らない。」

私が咎めている兄弟はキリストで、罪によって十字架に磔にしている私。
苦痛を与えているのは私。
その苦痛から解放されるのを 待っている。

「救いは、あなたがそれを兄弟に与えることにより受け取るようにと、
あなたに与えられている。」

人の間違いを咎める姿を見るのが嫌だ。
けれども、自分は咎められたくなくて正当化する。
あれ.....? 悪者はいないな。 本当は一人もいない...
ただ正当化があるだけ...?
あれ... 誰もいない。

エゴに振り回される、感じる(知覚?)のが嫌だ。
そこが疲れる。見たってどうすることも出来ないし、咎めるだけだし。

「喜びの中でつながり、動揺と苦痛にさいなまれた彼の心から、罪悪の痕跡
をすべて取り除きなさい。あなたが彼に課し、彼が自分のものとして受け入れていた
罪の重荷を、彼が持ち上げるのを助けなさい。そして、朗らかに笑いながら、
それを軽々と遠いところに放り投げてしまいなさい。」

失われるためにではなく、見つけ出されるために。
見つけられるためにではなく、知られるために。

旅が始まったとき以来の旅の理由。

彼は救済を与える者だろうか?
彼は罪悪感を与える者だろうか?

この視点が天国(聖霊)か、地獄(エゴ)かを選択するんだな。

「十字架につけられている者は苦痛の中に目的を見て、それをあなた自身の
目的として認識する力が備わっている。」



by kokoro3heian | 2019-04-24 13:10 | 癒しへの道 | Comments(0)