ほんとうのこと

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テキスト十二章 つづき

聖霊のカリキュラム

聖霊による判断 つづき


一つだけの救済が分からなくなる。
それだけを求めることが出来るようにすることがこのコースなんだろう。
そして、それ以外に求めることなんか ないのだろう。

他の人が、私にどんな態度をとったとしても、聖霊の解釈によって
愛の想念と恐れ(助けを求める懇願)だと教えてくれる。
だから、すべての人はみんな、同じ立場なんだと理解することができる。

これしかないんだ...
これだけなんだ...
確かにシンプルだ。

「恐れとはまさに、否認されてきたものを無意識の内に認識して、
愛を求めている呼びかけだからである。」

否定されると、ものすごく怒りがわいてくる。
悲しみの後すぐに やってくる。
これは、私が神を否定した原初の記憶に結びつくのかもしれない。
愛を否定した、という記憶。
この否定から作られた、この世界。偽りの世界を
私は見ている。
否定された時に感じるこの怒りは、愛だったんだ.......
神の愛だったんだ...

受け取れない、受け取っちゃいけないと感じていた神の愛。
底に隠してずっとこびり付いた、罪という考え方に支配されていたんだ。

「愛を隠蔽することだけが恐れの目的であった。」

愛と勇気と希望と豊かさがあるという夢 = 実相

起こる問題 = 実相への不信

「愛に対抗する防衛の1つひとつの根底に、愛を求める懇請が潜んでいる。」

憎らしいと思える相手に、どうやって愛を与えたらいいのだろうか?
私の中の恐れにどうやって気づいたらいいのだろうか?
苦しいから、ついつい早く取り除いて欲しいと願ってしまう...
私が答えに気づきますように。私が答えを思い出せますように。

願いは叶えられた。ここに全部答えが書かれていた。
私の理解が深まる度に、楽になっていく。
感謝。

どうか 誘惑を超えて 兄弟と共に 実相へと早く 到達できますように。



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# by kokoro3heian | 2018-07-19 11:24 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト十二章

聖霊のカリキュラム

聖霊による判断

「誤りを解釈するとは、誤りに力を与えることである。」

鏡の法則とか 引き寄せの法則とか、ホ・オポノポノとか、
仏様の言葉、お釈迦様の言葉...

なるほどなぁ...という言葉は気づきを与えるし、そう思うけど
元に戻るというか忘れてしまう。日々の生活には、なかなか活かせない...
結局、何か人のためにやらなくちゃ 自分を変えなくちゃ という方向に
なってしまう気がする。
けれども、コースは何度も伝える
「真理はそれ自体で実在しており、真理を信じるには、あなたは何もする必要がない。」

エゴは反発するか、落ち込む。いい気分にならない。
けれどもコースを理解した分だけ、いい気分になる気がする。

確かに人のあれこれを考えると、自我の考えから抜け出せなくなる。
混乱して 聖霊の声は聞こえないし、コースのやってきたこと全部忘れて
分からなくなる。
動機を分析することで、自分の自我を巻き込むからなんだな。
おととい辺りから、聖霊に聞く 聖霊を巻き込む という風にしたら
ずいぶんと楽になり、混乱もしなくなった。

どんな形でも、すべての動機は、癒しと助けを求める心の叫びなんだな。
私が求めているのも助け。
彼らが求めているのも助け。 必要としているんだ。

攻撃の必要性と癒しの必要性。
日々、私はどっちを選んでいるんだろう。
混乱している時は、確実に攻撃が当然という壁にぶち当たり
ますます混乱しているように思う。

緊張感のすべては、拒絶...?

「神の助けを求める兄弟の呼びかけを聞きなさい。そうすればあなたは、自分自身が
父を必要としていることを認識するだろう。」

心の中の自分の実相を信じる気持ちを
妨げる障壁が取り除かれれば
自分の求めるものが現れます

自分の実相を信じることで
解決できないことはない

コースをやっている人のブログから一部抜粋
テキストのどこかの言葉かな?


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# by kokoro3heian | 2018-07-19 10:57 | 癒しへの道 | Comments(0)

なむあみだぶつ

仏教を通して 心底感じたこと。

悔い改める
奉仕の心

それが心の平安へ繋がり、人々は救われると
説いたんだろうな。

南無阿弥陀仏

合掌

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# by kokoro3heian | 2018-07-16 18:38 | つぶやき | Comments(0)

テキスト 十一章つづき

神か、自我か


救いへの目覚め

信じる = 見る

lesson163を開く。
「死は存在しない。神の子は自由である。」

「復活の神が望むのは、犠牲と屈服の精神においてではなく
自由の悦びの中で、あなたが自分の意志を学びそれに従うことだけである。」

わたしを傷つけ、卑しめ、怖がらせる すべてのものから立ち去ろう。
わたしには、立ち去る自由がある。
神の恩寵を受け入れ、わたしは贖われる。

神よ、私は「痛み」から自由になりたい。

lesson10を開く。
「私は、何も今あるままに見ていない。」



実相の状態

真実を区別できないと苦しいな。と、思っている私が苦しみを選んでる、気がする。
ん? この状態だと気づきはないな。
区別できない...と、そう思う必要もないってことか。
それすらも意味ないことなのかも。

「実相世界を知覚できると信じることは、自分自身を知ることができると
信じることである。」
「実相世界とは、あなたが作り出したものの中から、聖霊があなたのために
とっておいてくれたもののすべてである。これのみを知覚することが救済である。」



問題と答え

「私は問題を望んでいるのだろうか。それとも、答えを望んでいるのだろうか。」
「答えを求めると決めなさい。」

問題に囚われて苦しくなったので、ワークブックのlesson80を見る。
何度も「80」という数字を見たため。
「私の問題がすでに解決されていることを認識できますように。」

何度も何度も答えは与えられる。

「神の子に何でも求めなさい。そうすれば、彼の父があなたに答えるだろう。」

兄弟の中にも私は在る。
兄弟の中にこそ、神は在る。

彼の愛の想念だけを見る...

「だから、あなたの兄弟の実相について学びたいと求めなさい。」

彼の美しさの中に映る 自分の美しさを見る

マニュアルを読んで「そうか」と納得した。
その都度修正が必要なんだな。何度でも何度でも引き上げてくれる。


「彼の分裂した心はあなたの分裂した心だからである。そして、あなたは
彼の癒しなくして自分の癒しを受け入れることはないだろう。」

分裂した心を受け入れてはならない。
兄弟の中の憤慨させるものを、自分の心から引き抜く。
私は自分に憤慨している。私は、キリストに憤慨しているんだ。
理由は「無」というもの。けれども私は「無」を信じている。
だから怒りが沸き起こるんだ。
「無」を幻だと信じている時、心は平安だ。
無を信じ切っている人に、無はないと言っても分からないし、
混乱するだけだ。
すべては聖霊の導きを通して...
聖霊の癒しの力を受け入れ...
すべての咎めから救ってもらおう。

私が怯えているものの正体を聖霊に尋ねよう。
それはなんつーことのない、笑える出来事だから。

自分の恐れを 真理へと取り替えてもらおう。

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# by kokoro3heian | 2018-07-12 17:21 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト 十一章つづき

神か、自我か

自我の「力動論」 つづき

分解することによって全体性を理解しようとする試み ⇒ 自我特有の矛盾したアプローチ
自我は、力と理解と真理が分離の中にあると信じている。
比較という概念が生まれて、攻撃せざるをえない。調和は脅威。

しかし、これは不可能。ありえない~~ なんだけど、自我の世界を信じて どっぷり
浸かっているので見えない。
お互いを見て「分離はない」と信じ合うことで、それが見えるのかも。

本当は繋がっている。力に包まれている。愛は力。愛は強さ。
自我は、何を否定したのか?


私が神を否定した。
質問も答えも、すべてはわたしの心の中にある。
わたしの心の中に、質問と答えが同時に寄り添っている。
神の子を受け入れる、というのは、そのキャラクターを受け入れるというよりも
そのキャラクターは自我で、その人を生かしている「いのち」を見て
キャラクターやら装飾品のすべてを赦す(無にする)という感じなのかな。

「あなたが出会う兄弟の1人ひとりは、彼の中にあなたが何を知覚するかに
よって、キリストの証人ともなれば、自我の証人ともなる。」

「あなたが知覚する一切は、あなたが真実であってほしいと思っている
思考体系の証しである。
あなたが自由になることを選ぶなら、兄弟の1人ひとりに
あなたを解き放つ力がある。」

「あなたは自分自身の声だけを聞くのであり、もしあなたを通してキリストが
語るなら、あなたはキリストから聞くことになる。」


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# by kokoro3heian | 2018-07-06 10:17 | 癒しへの道 | Comments(0)