ほんとうのこと

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テキスト13章 つづき

罪なき世界

無罪の神の子

罪悪感を除去する方法(自我目線) ⇒ 投影
自我は、罪悪感を保持したい。けれど私は耐えられない。
だから投影する。

これほどの苦しみを抱えて、人はどうして平気でいられるのだろう?
よっぽどうまくやってるのだろう...とか、罪を良しとしているのだろう...
とか、中学生の頃はそう考えていた。
どんなに自分を追い込んでも幸せになれない。やけくそのなっていた。
自我の言いなりになっていたように思う。
セラピストになりたいと思った頃は、暗闇と思っていた所には何もなくて
自分は悟りを経験したというか、垣間見たと思っていた。
それは大きな体験だったけど、今思うと、それはほんの一部の小さな悟り
だったと思う。信頼は確実に深くなっている。
私を守ってくれるのは、私の中の無罪性。神の子の無罪性だけ。

エゴのせいにしてはいけない。
選んでいるのは私だから。
何かのせいにした時、その何か、が、まったく無かったら怖い。
だから投影して楽になろうとしている。
けれども、それでは楽になることはない。これから先もない。
違うゴールを目指しているからだ。
幸福のゴールはそこにはない。

目の前の事柄がイヤだイヤだーーーーーーっって思ってるけどこれは、
神のことをイヤだイヤだーーーーーーって言ってるの?

...そんなはずない。神は幸せだけを願っているはずなのに...
こうすることで、ごまかされてる?すり替わってる?
本当はやっぱり、帰りたいーーーーーーっの叫びなんだよね。コレ。

罪はない。 闇もない。
あると思っているところに、どうか光を当ててください。

私が愛されるわけない... そんなにうまくいくはずがない... と、
どこかで思っているのかもしれない。
不信。 過去からの想い。

私と兄弟が天国を思い出せますように。

アーメン


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# by kokoro3heian | 2018-09-20 18:54 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト13章 

罪なき世界



罪悪感があるから咎める。
「というのも、裁いている心から分離したものとして自らを知覚しており、他者を
処罰すれば自分は処罰を免れられると信じているからである。」

ソワソワした気持ちや落ちつかない気持ち。何かに依存したくなるのも、
うわーーーーーーっ、とか、ぎゃーーーーーっ、とか感じる罪悪感を隠そうと
するもの。
でもそれは神の愛であって、気づいて戻っておいで、という声に他ならない。

「なぜなら、あなたにとって父を曖昧模糊にしたのは罪悪感であり、あなたを
狂気に駆り立てたのも罪悪感だからである。」

私が神の子であることを思い出せるだろうか...
心配はない。いずれはそうなるのだから。
それを信じて、声に耳を傾けよう。
贖罪のレッスンをしよう...

「この世界はまさに、神の子の十字架刑を絵に描いたようなものである。
そして、神の子が十字架刑にかけられることはあり得ないと悟るまでは、
これが、あなたが見る世界である。」

ああ...まさに。十字架刑の世界を見ているよ...




無罪性と、傷つかざる強さ

罪悪感は、神の子の咎めなき状態の否定。
「聖霊は時間の終着点に立っている。聖霊と共に居るあなたも、そこに居る
はずである。」

ゴタゴタはいらない。
存在しない。
求めない。
裁かない。
ほんとうの世界を見たい。
「あなたの世界を否定しなさい。そして神の子を裁いてはならない。」

贖罪を受け入れる...
怒りがわいて人を咎める時、自分は悪くないと突っ張るけれど、結局は
それは自分の過去の姿だったり、自分もやっていることだったりで、
全部自分に当てはまることだったりする。
けれど、その姿に嫌悪感を感じるので、責めること 遠ざけることで、
早く解決したいと願ってしまう。

それはすべて、私の姿なんですよねぇ...?
『あはは』
でもさぁ... やったらいけないことでしょう...?
『ハイ! スミマセン!』
...なんも言えないなぁ。これが傷つかざる強さよね。

「あなたは無罪であるがゆえに傷つかざる存在(もの)である。」

投影について
罪悪という考えは、誰かが誰かを咎めることができる、という信念。
それが一致に代わって分離を投影することになる。
罪悪感を通してのみ、過去にしがみついていられる。
自分のしたことのせいで自分が罰せられるだろうと信じているからである。
そのようにして、罪悪感は過去から未来へと進む。あなたの心の中に
過去と未来を保持する方法、時間というものを成り立たせる。
罪悪感とは、自我を継続させるためにある。
「常に」という変わらない真理、永続性は今である。
あなたの継続性の保証は神によるものであり、自我によるものではない。


未来はいらない。償いや、こうすれば良かったという念が、輪廻転生という
考えを生み、繰り返している。
罪が実在していてそれを償うというのが、エゴのやり方だから。
この世界は、エゴのやり方を支持している。
未来はいらない。過去なんてないから。
罪を犯したという過去はないのだから。

「神の子の無罪性を自分のものとして受け入れることが、あなたに神の子と
その真の本性を思い出させるための神のやり方である。」

罪悪感がなければ、攻撃は不可能

「そして完全に清らかであるあなたは、傷つかざる存在(もの)である。」

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# by kokoro3heian | 2018-09-16 11:22 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト十二章 つづき

聖霊のカリキュラム

愛を引き寄せる愛の魅力

神の子キリスト キリスト意識、みんなにある。みんな神の子。
私が神の子を攻撃している...
たしかに!
恐れと不安が攻撃させてしまうのだけど... 確かに攻撃している。

「あなたが尋ねる質問の1つにひとつに、一なる声が答えるだろう。そして、
心眼(ヴィジョン)が、あなたが見る一切についての知覚を訂正するだろう。」

神の記憶。

「あなたはこの記憶をただ求めればいいだけである。そうすれば思い出すだろう。」

思い出すことを選ぶ。私の世界はこんな風につくった...と、ただ眺め
ほんとうの世界はこのように地獄ではないことを喜ぼう。
私が地獄を想像したその瞬間に救われた。
それは存在していないので、神にも聖霊にも見えなかった。
けれども、私が見ているものは聖霊も見ている。
聖霊の心眼(ヴィジョン)を私が見ることで癒される。

そうか!無を見ているから、キリストが見えないんだ!

この胸のモヤッとしたギュッとした昔から感じる罪悪感は、
「思い出したい」「思い出すべき何か」
「ずっとほっておいたけど、何か忘れていたような気がする。」
「気がかりなことを思い出すきっかけ。」
つまり、思い出すためにモヤモヤしているんだな~。

これってギャーーーーーッ とか うわあーーーーーーーっとか
ジタバタしたくなるんだよね...
叫びも、思い出すための衝動なんだな。
これが「何かおかしい」と思わせるための神の愛。

何を探す?
この世界には答えは見つからない。
真理をみつけたい。それなら...探す場所はここではない。
ここに力を注ぐことはない。
「あなたは実在しないものを見て、絶望を見つけた。」

父はいつも呼びかけている。 その呼びかけを聞く。

それだけで充分。



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# by kokoro3heian | 2018-09-05 14:54 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト十二章 つづき

聖霊のカリキュラム


内側を見る つづき

「神のみから生じている心の力と壮大さは、もしあなたがそれを
本当に見るはずならば、あなたに平安をもたらすことしかできない。」


○○は不快。 ○○は心地よい ○○は不快...
不快なものは存在しない。
私に危害を与えるものは存在しない。
存在しない何かを見ている。
存在しない何かを聞いている。
答えを聞いていない...

実相世界のみを見るという、私の決断。
真理を顕現しようとする、私の決断。

「あなたが内側を見て私を見るなら、それはあなたが真理を顕現しようと
決断したからである。そして真理を顕現するとき、あなたはそれを外側にも
内側にも見ることになる。」

内側で見たものが、見たからこそ、外側にも見ることになる...
というのが引き寄せの法則が現れた証拠かもしれない。

「それがあなたによる判断であるなら、間違ったものとなる。
判断はあなたの機能ではないからである。
それが聖霊による判断であるなら、正しいものとなる。」

「判断はまさに聖霊の機能だからである。」

たしかに私は自分自身に逆らう判断をしている。
たくさんの過去の間違いや、傷ついたことを理由にして逆らってしまう。
聖霊は、本当に私のことを想っていて、正しい判断をしてくれる。
シンクロがそれを物語ってる。
シンクロと思えない事でも、後から考えてみると繋がっていたりする。
だから、考えなくてもいいのかもしれない。
判断をする。ゴールを正しく決断することが私の唯一の課題かもしれない。

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# by kokoro3heian | 2018-09-02 14:28 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト十二章 つづき

聖霊のカリキュラム


キリストの心眼(ビジョン)

病気や薬、精油や五次元ヒーリング。人それぞれに思い出し方は違う。
何だっていいんだ。どれを使ってもいいんだ。それを思い出すなら。

「聖なる神の子よ、私に祝福を与えてください。」
ワークブックlesson161より

きのうから激しいlesson。「私が!」がどうしても出てきて、激しい怒りが噴出。
その感情を感じて、こんなに怒りが出ます...と、聖霊に渡す。
聖霊に渡してよかった。
寝ている時、胃がキリキリと痛み、足もつるけど すべて聖霊に渡せばいいんだ...
と思った。
信頼   ありがとう。
あれこれ考えても、ぐるぐるするだけなんだから。
外側にいろんな問題が出て来たのに、奇跡的に解決していく...

月曜までに出さなくちゃいけない書類を郵便のポストへ、と思っていた私に
夫が「配達の人に渡せばいいよ」と言う。
ええ?配達の人、来ないでしょう~~~と言ってる私の窓の外でバイクの音がする。
郵便配達の人だ!!! 考える暇もなく走って渡す。
「あれぇ。間違って配達しましたぁ?」と、あまりのタイミングで出てきた私に
郵便の人も戸惑う。
「いえ。これ月曜まで間に合いますか?」
「消印は月曜になるけど、配達はどうかなぁ~大丈夫だと思うけど。」
と言って笑顔で走り去った。
などなど。

「あなたが学びをより多くの状況で活用するにつれて、学びの普遍化が実証されていく。
奇跡をあらゆる状況に適用するとき、あなた自身が、奇跡に難しさの序列はないことを
学んだと認識するだろう。」

信頼できる聖霊がいつもそばにいてくれることが、本当にありがたいと思った。

「奇跡が適用できない状況というものはない。」
それを提供してくれる兄弟に、感謝しなければいけないな。


内側を見る

苦しい想いをするたびに、これが私の望んだものか?とびっくりする。
これではない。こうである必要はない。
けれども、実際に接すると、イライラの方を選んでしまうマジック。誘惑。
これではない。必要ない。何度も何度でも切り捨てねば。
わたしはキリストの顕現を望む。
兄弟の中にあるキリストとは、どんな姿なんだろう...。

「私は聖霊の顕現である。そして、あなたに私が見えるとき、その理由は
あなたが聖霊を招いたからである。」

怒りを感じる時、その感情がどんなに大きいと思えても、いまここで味わって
聖霊を招く。
私はこれを感じてるけど、これは私ではない。
私は参加していない。ここに答えはない。
聖霊の導きを聞こう。聖霊の証人たちを招こう。
それが見えないのは、2つのゴールを信じているから。
ここらへんがよく分からないので、混乱するんだろうな...

癒し。 本当の癒し。

うーん、 分からん。


私は対立を受け入れている?
そうなのか。
そう見える、と思ってしまうし、それが常識だ...とか
やはり攻撃というものを認めてしまっているのかもしれない。

何を探すのか。
愛。 愛だけを求めたい。
その証人だけを求める。

運が悪いと思っているのは、あきらかに考え方が間違っている。
私が悪いのかなぁ... NO!  私が間違っているのかなぁ... YES!
間違っていることを、どれだけ素直に認められるかが鍵。

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# by kokoro3heian | 2018-09-02 14:07 | 癒しへの道 | Comments(0)