ほんとうのこと

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テキスト13章 

罪なき世界



罪悪感があるから咎める。
「というのも、裁いている心から分離したものとして自らを知覚しており、他者を
処罰すれば自分は処罰を免れられると信じているからである。」

ソワソワした気持ちや落ちつかない気持ち。何かに依存したくなるのも、
うわーーーーーーっ、とか、ぎゃーーーーーっ、とか感じる罪悪感を隠そうと
するもの。
でもそれは神の愛であって、気づいて戻っておいで、という声に他ならない。

「なぜなら、あなたにとって父を曖昧模糊にしたのは罪悪感であり、あなたを
狂気に駆り立てたのも罪悪感だからである。」

私が神の子であることを思い出せるだろうか...
心配はない。いずれはそうなるのだから。
それを信じて、声に耳を傾けよう。
贖罪のレッスンをしよう...

「この世界はまさに、神の子の十字架刑を絵に描いたようなものである。
そして、神の子が十字架刑にかけられることはあり得ないと悟るまでは、
これが、あなたが見る世界である。」

ああ...まさに。十字架刑の世界を見ているよ...




無罪性と、傷つかざる強さ

罪悪感は、神の子の咎めなき状態の否定。
「聖霊は時間の終着点に立っている。聖霊と共に居るあなたも、そこに居る
はずである。」

ゴタゴタはいらない。
存在しない。
求めない。
裁かない。
ほんとうの世界を見たい。
「あなたの世界を否定しなさい。そして神の子を裁いてはならない。」

贖罪を受け入れる...
怒りがわいて人を咎める時、自分は悪くないと突っ張るけれど、結局は
それは自分の過去の姿だったり、自分もやっていることだったりで、
全部自分に当てはまることだったりする。
けれど、その姿に嫌悪感を感じるので、責めること 遠ざけることで、
早く解決したいと願ってしまう。

それはすべて、私の姿なんですよねぇ...?
『あはは』
でもさぁ... やったらいけないことでしょう...?
『ハイ! スミマセン!』
...なんも言えないなぁ。これが傷つかざる強さよね。

「あなたは無罪であるがゆえに傷つかざる存在(もの)である。」

投影について
罪悪という考えは、誰かが誰かを咎めることができる、という信念。
それが一致に代わって分離を投影することになる。
罪悪感を通してのみ、過去にしがみついていられる。
自分のしたことのせいで自分が罰せられるだろうと信じているからである。
そのようにして、罪悪感は過去から未来へと進む。あなたの心の中に
過去と未来を保持する方法、時間というものを成り立たせる。
罪悪感とは、自我を継続させるためにある。
「常に」という変わらない真理、永続性は今である。
あなたの継続性の保証は神によるものであり、自我によるものではない。


未来はいらない。償いや、こうすれば良かったという念が、輪廻転生という
考えを生み、繰り返している。
罪が実在していてそれを償うというのが、エゴのやり方だから。
この世界は、エゴのやり方を支持している。
未来はいらない。過去なんてないから。
罪を犯したという過去はないのだから。

「神の子の無罪性を自分のものとして受け入れることが、あなたに神の子と
その真の本性を思い出させるための神のやり方である。」

罪悪感がなければ、攻撃は不可能

「そして完全に清らかであるあなたは、傷つかざる存在(もの)である。」

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by kokoro3heian | 2018-09-16 11:22 | 癒しへの道 | Comments(0)