ほんとうのこと

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気づきのこころ lesson355~357

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編



< レッスン 355 >

人のために祈ることは、自分自身のためのもの。
ということが、理解できているようで出来ていなかったな~

そこをスルーしようとする自分がいる。恐いから。
でも、そこに向き合える自分は、祝福されているよな。本当は。



今日は兄のlineのメッセージに、めっちゃキレた。
久々に、止められないほどの怒り。
あーあ。疲れたよ...
テキスト開いたら、P330。
「救いに対する恐れ」   恐れか。



< レッスン 356 >

きのうのキレた思いを引きずっていたところ、マニュアルのP12
「他者のために祈る」だった。
きのうの朝、読みかけていて、なるほどなーとは思ったものの、あまりピンと
こなかったので、あとから読みなおそうと思ってたのだ。
そして、今日読み返した。
昨日とは違って、ディープな内容に思えた。

兄弟を赦そうと思う。

兄へキレた想いは、以前から繰り返しているものだ。
この想いは誰のせいでもなく、私のもの。私の罪。
しかも、これはもう消え去ったもの。ありえないもの。
大切にしておくものではなくて、幻の源...
だから、もういらない。聖霊に見てもらおう。

聖霊は
『これは温泉の湯気のようなもの』と言った。
消えたように見えても、漂っている。
『これを光に変えてしまいましょう』と言って
ダイアモンドダストにしてくれた。


神の使者を動画で見ていて、ふたりの聖霊?が現れて応援してくれているのが
以前は羨ましくて特別なことのように思えた。
神の使者の著者も、そのように思っていたように思う。
けれども、神の使者として働くふたりもまた、彼から見れば他者に過ぎない。
彼は、ふたりをも赦さなければならないからだ。

わたしも、以前から聖霊のような存在がいて、その頃はハイヤーセルフと
呼んでいて、会話をしていた。
いまは、聖霊と呼んで会話している。
イエスのような存在に感じるときもあれば、導いている守護霊という感じのときもある。

幻想の中で頑張って来た私。  なんのため?  恐れのため?

いいえ。 すべての笑顔のため。

ならば、誰かに何を言われようと、私は人事を尽くし天命を全うしている。

『もともとないもの(見えないもの)をどうやって消すんだい?』

私には見えるの!(怒)

『ならば それは あなたの(作り出した)ものだ』

ん? じゃ、消すのは私?

『消すというより あなたが作ったと認めるかい?』

............ 。 どうして?わたしがこんなもの作るの? あ。「どうして?」って
       エゴの言い訳だから禁句だしな。

こういうの.... 作りたくありません。

『形は違うけど、1つ1つ消していく必要があるね』

そうですか... (素)

『わたしに任せて』

お願いします


聖霊に任せる。委ねる。 瞑想して聖霊と会話していると素直になれた。


< レッスン 357 >

言葉にできない真理を、コースは言葉にしてくれている。
兄弟を赦して源へ戻ることを。ただそれだけを導いている。
聖霊と共に。

人に罪はない。と、気づきがあったはずなのに、またもや振り出しに
戻ったかのように分からなくなる。
形が変わっただけ、とか、理解できない。
コレは違うでしょう...とか、コレも同じなんだろうけどシツコク
何度も出てくるーーーーーー!とか。


赦しへ気持ちが動くとき、やるせないような諦めのような感じに
入っていく。これが一歩退くということなんだろうけど、
負けた!という感じがするので、退くのが一瞬嫌に感じる。
けれども、そのまま負けの感じに入っていくと、聖霊の声も
感じるし、自由を感じたり答えがみつかったりする。

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by kokoro3heian | 2018-01-24 21:24 | 奇跡のコース lesson編 | Comments(0)