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ほんとうのこと

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テキスト 二十章つづき

聖性の心眼(ヴィジョン)

百合の花の贈り物

肉体のための装身具...

「そのすべては、あなたが憎んでいるものを麗しく見せるために作り出されたということを
思い出しなさい。」

「そうした贈り物は依然として彼の無価値性をあなたに宣言するものである。
なぜなら、彼がその贈り物を受け入れて喜ぶこと自体が、彼が自分自身に価値を
置いていないことを確認させるからである。」

えーーーーーーっ なんにもできないじゃん... それじゃ...

『あなたはムージじゃないんだから、いきなりそういうことを目指さなくていいんだよ。
ただ、聖霊に委ねるだけでいいんだよ。』

「彼に百合の花を差し出すなら、あなたは自らを自由にする。」

キリストは赦しを求めている。
キリストは私を赦してくれる。
百合の花で私を祝福してくれ!と願っている。
そうか...キリストは私だ。そして、兄弟もキリストだ。兄弟は私だ...

...そうだよね... みんな源に帰りたいんだ...!!
それが願いだ...

「私が赦され、あなたが神の子を全一なものとして見ることができる
ように、あなたは私のために、彼の友になってほしい。」

しかしまず最初に。
自分の中の祭壇を見る。私は天国(聖霊)を選んでいるか?
それともまだ地獄(肉体)を選んでいるか?




...ああ 最近忙しすぎて苦しい。自分がつくった状況とは思えない...。
聖霊よ!助けて!
どうしても兄弟を責めたくなるぅ... ぅぅ...

「あなたはすでに私を赦している。」

「神の子は、自らの解放を求めてあなたを頼っている。あなたはこの最後の
障害を見ても、そこに神の子を磔にして死の王とするための茨の冠も釘も見ずに
いられる強さを求め、それを与えられたからである。」

神の子は一度も十字架にかけられていない...

...本当に...?
責める必要も、責められる必要もない。
復活祭の歌は、それを繰り返す喜びの歌...
私に聞こえる...? 聞こうとしているだろうか...




# by kokoro3heian | 2019-05-13 15:29 | 癒しへの道 | Comments(0)

威圧感

最近、威圧感を感じることが多い。

感じることが多い… というより、気づくことが多くなった。

いままでは、自分は弱くて責められるのが
当然だと受け入れたり、恐れて身を隠したり
していた。

けれども、責めた人に猛烈な怒りのようなものが
わいてきて、勝とうとしてしまう。
いや、勝ってしまう。

これもまた威圧感だったんだよな~~

何かや自分を守ろうとしても、それは
威圧感でしかない。

たとえ正しいことでも、正当化でしかない。

コースでは、どんなことでも解決できると言っている。
自分の聖性なら、神とひとつであり、無限であると。

今日のコースの言葉。

私の聖性にできないことは何もない。


# by kokoro3heian | 2019-04-27 08:14 | つぶやき | Comments(0)

テキスト 二十章

聖霊の心眼(ヴィジョン)


聖習慣

私はキリストを憎んでいる。聖霊に勝ちたいと思っている。
いつもいつも... 肉体を感じているときは、そう、いつも。
祝うことができるだろうか。
祝福しなくてはと思うけど。すべての生命(いのち)のために。

今日から一週間、キリストの復活をみよう。

「彼は勝利のしるし、すなわち復活の約束を、すでに与えられて出発した。
彼が十字架刑の誘惑にさまよい込んで、遅れをとることのないようにさせなさい。
彼自身の無垢性が、彼の救いと解放へ向かう道を明るく照らし、彼が誘惑を
越えて平安のうちに進んでいけるように助けなさい。救いを目前とした彼を茨や
釘で引き戻してはならない。そうではなく、あなたからの純白に輝く百合の贈り物で、
復活への道を歩む彼の足取りを速めなさい。」

復活祭は、罪の代価ではなく”罪の終わり”の祝日



# by kokoro3heian | 2019-04-24 13:26 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト十九章 つづき

平安の達成

第四の障害 ~神に対する恐れ~
i.ベールを取り去る


負けたくない、と言っているのは誰?
負けたくない、本当の相手は誰?
パンさんのブログより

いつもここで屈したくなくて抵抗する。こんなの存在しない。
しないのに!!
許せない。許すともっとひどい目に遭う、損をすると思っている。
エゴの強力な抵抗!!

...とみつめると ふっとなくなる。やはりエゴにそんな力はないのか...?
それともどこかに隠れたのかな?って思っちゃう。

贖罪って... ああ... 罪は存在しないってことなのか...
兄弟の役目って...
ああ... 罪は存在しないことを証明する人のことだったのか...

「あなたは自分が赦していない者たちを恐れる。そして、誰も恐れを傍らにして
愛に到達することはできない。」

兄弟は敵だろうか?それとも贈り物を与える人だろうか...?

「あなたは彼の罪を理由に彼を咎めたいだろうか。それとも、彼からあなたへの
贈り物を受け入れたいだろうか。」

「罪」とか「間違った考え」はすべて終わったこと。
その土台になるものは、もうないのだから。
それはすぎゆく“姿“ではなく、もう過ぎ去った“姿”なのだから。

「自らの選択に応じたものを彼から受け取ることになることを思い出して、
彼がそのどちらであるかを選択しなさい。」

罪を赦す力はある。私にも 彼にも。
それを信じる。救済者がいることを信じる。

エゴを選択して、彼に贈ったものが返ってくるとき、違う状態で受け取るので
被害者になってしまうんだ。本当はそれに意味はないんだけど、意味づけしている私には
ひどい仕打ちに受け取ってしまう。
けれども、ひどい言葉や態度や状況にはまったく意味はなくて、そこに
反応してしまうことでまたエゴを選択することに気づくことが大事なんだ。

「キリストの「敵」、罪の崇拝者たちは、自分が誰を攻撃しているのかを知らない。」

私が咎めている兄弟はキリストで、罪によって十字架に磔にしている私。
苦痛を与えているのは私。
その苦痛から解放されるのを 待っている。

「救いは、あなたがそれを兄弟に与えることにより受け取るようにと、
あなたに与えられている。」

人の間違いを咎める姿を見るのが嫌だ。
けれども、自分は咎められたくなくて正当化する。
あれ.....? 悪者はいないな。 本当は一人もいない...
ただ正当化があるだけ...?
あれ... 誰もいない。

エゴに振り回される、感じる(知覚?)のが嫌だ。
そこが疲れる。見たってどうすることも出来ないし、咎めるだけだし。

「喜びの中でつながり、動揺と苦痛にさいなまれた彼の心から、罪悪の痕跡
をすべて取り除きなさい。あなたが彼に課し、彼が自分のものとして受け入れていた
罪の重荷を、彼が持ち上げるのを助けなさい。そして、朗らかに笑いながら、
それを軽々と遠いところに放り投げてしまいなさい。」

失われるためにではなく、見つけ出されるために。
見つけられるためにではなく、知られるために。

旅が始まったとき以来の旅の理由。

彼は救済を与える者だろうか?
彼は罪悪感を与える者だろうか?

この視点が天国(聖霊)か、地獄(エゴ)かを選択するんだな。

「十字架につけられている者は苦痛の中に目的を見て、それをあなた自身の
目的として認識する力が備わっている。」



# by kokoro3heian | 2019-04-24 13:10 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト十九章 つづき

平安の達成

平安への障害
C.第三の障害 ~死の魅力~

「自ら死を選択しなければ、誰も死ぬことはあり得ない。」
「聖霊の目的を自我の目的に代るものとして受け入れたとき、あなたは死を放棄して、
それを生命(いのち)と交換したのである。」

死は、私たちが自我と呼んでいる想念から生じた結果。
生命(いのち)は、神の想念から生じた結果。

またもやショッキングな出来事があった。
職場の人が大やけどをして、人数が明らかに足りない...
職場への不安や不満がそうさせたのか...
ますます不安になる問題を引き寄せてしまった。
これもすべて過ぎ去った問題なのだろう...
聖霊を信頼して問題を明け渡そう...



i.腐敗しない肉体

「罪も死も創造しなかった神は、あなたがそれらに縛られることを意志していない。」

・肉体は感じることができない。腐敗も死もなにもない。それは無。

「肉体は腐敗という小さな狂った想念の結果であり、その想念は訂正可能である。」
「死へと逃げ込むことは、葛藤の終わりではない。神の答えのみが、葛藤の終わりである。」

きのうの職場の人が大やけどしたのは、肉体に対するレッスンなんだろうな...。
それに囚われてしまう私。
肉体とは。  肉体とは...

私は、聖霊と共に奇跡を起こしたい....。

「肉体からの解放を求めるのはやめなさい。そうではなく、あなたが肉体に課した
無慈悲で容赦のない命令から肉体を自由にし、あなたが命じて行わせたことについて、
肉体を赦しなさい。」


D.第四の障害 ~神に対する恐れ~

私は死を恐れている。それがなんなのかよく分からないから。
私は死を望んでいる。この世界より楽になれると思っているから。
私は死に対して、何も出来ないと感じている。
何もできない自分に絶望している。
そういう考えに戻ってしまう。

私は自我や死を恐れていると思っていたけど...
本当は神を恐れていたんだろうか...?

「あなたが恐れを望むことで、それらの障害がその場に保たれているように見えていた。」
だが、それらの向こう側にある愛の声が聞こえたとき、あなたはそれに答え、それらの
障害は消滅した。」

ーー マニュアルを読む ーー
「神の平安とは何か」

「自分が望むのは葛藤だろうか。それとも神の平安のほうがよりよい選択肢だろうか。」

生と死は相反するものではない。
私が、死は生命を終わらせると決めた。
死をこの世界の逃げ道にした。

「世界を赦しさえすれば、あなたは、神が創造した一切に終わりはなく、
神が創造しなかったものは実在しないということを理解するだろう。」

神の平安とは?
神の意志にはまったく対極がない。という単純な理解。

そんな訳ないでしょ、それはだめでしょ、そう言ってる場合じゃない、
そんなのあり得ないでしょーっ 、という否定ではなく。

そうである必要はない という優しさ。強さ。

神の意志と私の意志の相違は実在しない。

「神の平安が神の意志のための条件である。神の平安を達成しなさい。
そうすれば、あなたは神を思い出すだろう。」



# by kokoro3heian | 2019-04-14 15:28 | 癒しへの道 | Comments(0)