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ほんとうのこと

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テキスト 二十一章 つづき

理性と知覚

視覚に対する責任

私は正しいことをしているか... いつも振り返って確認し、大丈夫?って
考えて行動していたけど。
私は狂ってるんだ^^;
過去を確認しても、意味ないよね... 狂ってるんだもの。

難しいと感じるのはエゴ目線だからなんだね。
本当は、ほんの少ししか求められていないのにな...
ささやかな意欲か...


私が見ているものについての責任は、私自身にある。
私が経験する感情を選択するのは私自身であり、
私が達成したいゴールを決めるのも私自身である。
そして、私の身に起こるかに見えるすべては、私が求めて
求めた通りに受け取るものである。

私は無力なのではない。間違っていただけ。
偶然や偶発性はない。

ものすごく不安だったけど、軽くなった。
すべては良くなるためのもの。ぜったいに!!

今見ている世界を持ち続けたくない!
ささやかな捧げものを拒んではいけない。
間違いを訂正してもらうために。

「ここで、あなたの望まない世界が望む世界へと運ばれていく。
そしてここで、あなたの望む世界が、あなたがそれを望むがゆえに
あなたに与えられる。」

・聖なる瞬間に、この交換が達成され、維持される。
・自分の望むものは必ず叶えられる。

・私は世界を作り出した強さがある。
 それは、世界を手放すことができる証拠。

私は間違ってない!って言いたいんだよな~~
恐れを感じる。
それが外に投影されちゃってるんだな~

「自分は何も信じてないと思ってはならない。」

みんなここに居場所を探している... けど、ここにはないんだ...

私たちの居場所はここにはない。帰りたいけど、帰り方が分からないんだ。
それを隠してしまう「欲望」もあるし。

『気を楽にして聖霊に任せればいいんだよ』

どんなに咎めたくなっても、それは必要ない。
心の中に... 居場所はある。

「聖霊はあなたに、聖性に対する信と、それを見ることのっできる
心眼とを、充分にたやすく与えることができる。」

難しいと感じる。
私は特別だ と思いたいんだろうか。
愛に飢えているようにも感じる。
喜びを求めること... 心から喜びを求めること...

「あなたに求められているのは、ただ真理のために場所を
開けることだけである。」

・聖性を中に入らせること
・自ずと起こることに干渉するのをやめること
・自分で捨て去ったと思っていたものの存在を、再び認識すること。

「聖なる瞬間とは、創造の瞬間ではなく、認識の瞬間である。」

・認識は心眼と判断の停止から訪れる

「信と欲求は相伴うものである。なぜなら、誰でも自分が望むものの
存在を信じるからである。」

「望み通りになるという思考が、自我が自分の望むものを実現させる
ために用いるやり方である。」

最近、ほんとに混沌としてたな~...

・私は自分を自分で創造しなかった
・私の見ている世界は、私が作り出した

「あなたの創造主によって創造されていないものは、あなたに
何ら影響を与えない。」

この世界が私を作っているのではなくて、私が世界を作ってるんだ!
反応や感情の原因は外にはないんだ!!あると思っている私が
作り出したんだ。本当はないものだけど、そう見えるようにしたんだ。
ひえ~~~ またどっぷりはまってた~~~

「あなたと兄弟との間に立ちはだかり、互いを切り離し、父から
分離させているように見える一切を、あなた自身が密かに作り出したと
認めなさい。」

周りの人は皆、人類は皆 神が創造した神の子なんだ...



# by kokoro3heian | 2019-07-07 17:09 | 癒しへの道 | Comments(0)

願い

望めば 叶えられる。

叶わなかったものは、全部エゴ。
幻想だったから、叶わなくて良かったのだ。

ネガティブを避けることよりも
脱出することに専念する。



# by kokoro3heian | 2019-06-23 18:19 | つぶやき | Comments(0)

テキスト 二十一章

理性と知覚


・投影が知覚を作り出す。
・私が見ている世界は、私が与えたもの。それは私の心の状態。
・人はその心に思うごとく知覚する。
・知覚は結果であって、原因ではない。
・心眼を通さずに知覚されるものは何も意味しない。
 そして意味のないところには混沌がある。
・あなたが災厄や破局を見ているなら、あなたは神の子を十字架につけようとしたから。
 もしも聖性と希望が見えているなら、あなたは神の子を自由にしたから。
 このことから、自分がどちらを選択したかが認識できる。

「だから、世界を変えようとするのはやめなさい。
そうではなく、世界についてのあなたの心を変えることを選びなさい。」


「あなたに見えている世界は、どれだけの喜びをあなたが自分の中に見て、
自分のものとして受け入れることを自分に容認したかを、あなたに示しているに
すぎない。」

世界に喜びを与える力はあなたの中にある。


忘れられた歌

私は職場のことですごく不安を抱えている。ここ(職場)ではなく、別のどこかで
夢を叶えたいと思っている...
けれど私の推測は間違っているのかもしれない。
私は喜びの世界の扉をみていないのだ...

「苦痛を通して学ぶ必要はない。柔和なレッスンは楽しく習得され、喜んで記憶される。
あなたは自分に幸せを与えるものを、学びたいと思い、忘れまいとする。」

私が不安なのは、この道が合っているのか、ということ。
ハードな仕事が続くことや、職を失うのでは?とか。
この職でいいのか?ボランティアはどうするのか?イベントへは参加できないのか?
人と会うのも嫌になっているのに...鬱っぽいのに...とかごちゃごちゃ...

そう、それは
「このコースを学ぶ手段が、コースが約束している喜びをもたらしてくれるかどうか
という点である。」
その疑いが不安を生み出している。

「あなたは思い出せる。だが、思い出せば、これまで自分が学んだこの世界を失う
ことになると信じて、恐れているのである。」

私は知っている。 肉体ではなく心眼を。
そしていま、盲目の人達にも見える。

「ひとりの中の光は、すべての者の中のその光を目覚めさせる。
そしてあなたが兄弟の中にそれを見るとき、あなたはまさしくすべての者の
ために思い出しているのである。」


# by kokoro3heian | 2019-06-17 11:33 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト 二十章つづき

聖性の心眼(ヴィジョン)


無罪性の心眼(ヴィジョン)

私は本当のことを知りたい。疑いを確かさへと交換したい。
苦しみを喜びに変えたい。つらさを奇跡へと変えたい。
不幸から自由になりたい。

「あなたの神聖な関係はこれらすべてをあなたに差し出す。それがあなたに
与えられたように、その結果も与えられるだろう。」

「そして、手段にしても目的にしても、自分で作り出す必要があると
思ってはならない。ただ兄弟を罪なき者と見ようとするために、これら
すべてが与えられる。」

心眼(ヴィジョン)を受け取りたい。そう思うだけ。 それが祈りか...

「あなたが聖霊の心眼で眺め、聖霊と共に喜ぶようにと、光の中に輝く兄弟の
無罪性があなたに与えられている。」

キリストが私の前にあらわれて、 全部夢だったよ。兄弟やあなたに罪なんかなかったよ。
ほら起きて、と優しく語りかけてくれて目覚められたらいいな。

越えていかねばならない。 そのレベルに留まることなく越えてゆけ!

「あなたには、肉体を見ないでいることを可能にする心眼がある。」

「裁きはあなたの救済者を弱き者にするように見えるだろう。だが、彼の強さを
必要としているのはあなたである。」

・心眼により解決されない問題はない。すべてが救われた状態で見える。

愛の法則で生きていないから、裁いたり不満が出てくるのだな。

「幻覚はその正体が認識されたときには、消え去る。これが癒しであり、治療法である。」

私は罪を見ている。それを正さなければならないと思っているから。
自分が裁かれるのが怖いからだ。

・心眼とは、間違った考えが投影されたものを正しく翻訳する手段。

「あなたは神が神の子に与えた聖性を見ることができる。」



# by kokoro3heian | 2019-06-12 12:56 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト 二十章つづき

聖性の心眼(ヴィジョン)


聖性の神殿

「肉体とは、関わり合いを通して権力を求めるために自我が
選択した武器である。」

愛は権力を求めない。
私は神聖な関わりだけを求める。
そっか。それ以外は無だ。正当化しなくていいんだ。
私は恐れを信じていて、愛からのがれた所にいて 安全だと
思っている。けれども、つらくてつらくて どうしようもなくなっている。

私は兄弟の中に恐ろしいものを見ている?
それが安全だと思っている.....?

「聖霊の目的は、あなたの肉体の中にではなく、あなたの関係の中に安全に
保たれている。あなたは肉体から脱出したのである。」

「あなたが居るところに、肉体は入ってこられない。
聖霊がそこに自らの神殿を据えたからである。」

・神聖ならざる瞬間に時間が生まれた
・幻想に実在性をもたせるために肉体が作り出された

「あなたはこれを、聖なる旬かっkの永遠の祝福とその限りない恩恵の
代替として望むのだろうか。」

いいえ。望みたく在りません。

「それならば、肉体を脇に置き、あなたが真に望むものを歓迎して
上昇することにより、静かにそれを超越しなさい。」

「ここで彼には、肉体を賞賛しながらこの瞬間を過ごすか、それとも、
肉体からの自由を自分自身に与えることにするかを選ぶ機会が与えられている。」

「ここにおいて彼は、以前に選択した神聖ならざる瞬間と入れ替えるべく
彼に差し出される聖なる瞬間を、受け入れることができる。そして、
ここにおいて彼は、関係とは自分の破滅ではなく救済であると、学ぶことが
できる。」



手段と目的の一貫性

・聖霊によって目的を変化させた後に伴う不快感は、聖霊に手段を任せることを
拒否している証拠。

...うん。あんなに奇跡を見たのにもかかわらず、『日常になってしまうと
それがまた恐怖に変わる。
任せることが怖くなってしまう。大丈夫なのか?と疑ってしまい、自分で
何とかしなくては!と恐怖を回避したくなる。

「ゴール達成のために、聖霊は本当にわずかしか求めていない。
手段を与えるにあたっても、それ以上を求めてはいない。」

・私は本当は目的を恐れている。
手段が難しいという考え方は間違っている。

何度聞いてもそう思えない。難しさに序列はないって読んでても...
実感してるはずなんだけどな~~

・手段が不可能だと思うとしたら、目的を望む私の気持ちが揺さぶられたということ。

・ゴールは到達可能。ということは、手段も同様に可能。

「そしてあなたが、肉体を見ているなら。あなたは心眼(ヴィジョン)ではなく
裁きを選んだのである。」

「実際には彼を罪深き者として見ているのではなく、まったく見ていないのである。」

見ていない!!

「私は本当に彼を罪なき者と見たいだろうか。」

・これが私自身の恐れからの脱出、救済、その手段は心眼(ヴィジョン)。



# by kokoro3heian | 2019-06-02 10:53 | 癒しへの道 | Comments(0)