ほんとうのこと

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気づきのこころ lesson164~166

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編


< レッスン164 >

目にはみえないけれど  ある。

崩れてしまったものや、うまくいかなかったこと。落ち込んだりしたけど
それはすべて幻だった。エゴによってつくりあげられたものだった。

目には見えないけれど、心の目には確かに見える。
真実へと歩んだ確かな道。それは確実に神へと届き、私は到達し、受け入れられる。

いまも失われていない古くからの平安がある。
あなたの中には、罪の想念が一度も触れた事のない聖性の感覚がある。

ワークブックより

< レッスン165 >

その日、不思議なことがあった。

仕事帰りに、車に違和感を感じた。
そんなわけないのに、車体の下に生首が絡まっているような気がしたのだ(笑)
テレビで観たホラーな映像が頭にこびりついていたのだと思うけど。
その状態で、しばらく走っていたけど、我慢できなくなって車を停めた。
神妙な顔で車を覗きこむ。

なにもなかった。(あたりまえ!)

そしたら、スーーッと対向車の一台が停まり、外国人が出てきた。

「ダイジョーブデスカ?」

意外な展開に驚き、返答に困る。「大丈夫です」
きっと大丈夫な顔に見えなかったのだろう。
かなり神妙な顔だったんだ。 だって生首があるかも!っていう顔だもんね!(爆笑)

大丈夫と言ってるのに降りてこようとした。

生首の怖ろしさのままだったので、その外国人も怖くて
「ダイジョウブデス! ダイジョーブ!!!」と、変な日本語でジェスチャーをつけて
断った。

今思えば失礼よね。 せっかく心配してくれたのに。

ちょっと考えてたけど、納得したのか、外国人は降りずに去って行った。

なになに? なにこの絶妙なタイミング!

けれども、この不思議な体験は3度目だ。
車で吹雪のなか、わたしは2度同じような体験をしている。
2度とも雪に車を突っ込んで、2度とも動けなくなった。
あら?動かない。どうしたものか・・・と、車の外に出ると、すぐに人が
駈けつけてくる。
1度目は、前を走っていた運送屋のお兄ちゃんが車を押してくれた。
腰まで雪に埋まりながら。後ろを走っていた車からは、白衣を着た二人の人が
駈けつけてきたが、お兄ちゃんの力で車が動いたので吹雪の中戻って行った。
前を走っていたのに、戻ってくるとは!?
みんなが天使に見えた。
2度目は、コンビニだったのだが、中から沢山の人が出てきたので
度肝を抜かれた。そして、たまたま設備会社の人がいて、けん引してくれた。

どちらも天使のように笑って去って行く。
ものの数秒の出来事。
手際の良さに突っ立っている私。
「あ・・・あのお名前は・・・お礼を・・・ あの・・・」
と、言っている間に、蜘蛛の子を散らすように笑顔で去っていく人たち。

みんな神だね!



< レッスン166 >

あなたにはすべてが与えられている。
神があなたに寄せている信頼は無限である。

ワークブックより



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# by kokoro3heian | 2017-05-08 18:58 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson161~163

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編


< レッスン161~162 >

悲しみ・落胆・闇・苦しみ・漠然とした恐怖・不安・怖ろしい空想    

↑これら全部が、真理を拒否したことによる重圧感の現れ。(この重圧感が神の子の十字架刑)

悲しいのは~~~のせいだ!と、なにかのせいにする出来事全部。それが真実だったことは一度もない!

救済が機能(はたらき)であるとすれば、神の子を十字架刑にした
私が神の子を救済するということだろうか?

今までは、「死」を救済だと勘違いしていたから、こういう質問がでるのかなぁ?


< レッスン163 >

キリスト教は、磔にされた 死んだ神を崇拝している!?

そういえば、磔にされたイエスの像をみんな持ち歩いて「アーメン」と言っている。
それに違和感を感じたことは、いままで一度もなかったのだけど
コースの文章を読んでいるうちに、みんな「死」を救済だと思いこんでいたんだ!と
気づき、「私たちは罪深い」というのが当たり前になり、磔にされた像にすがり、
いつも自虐的な感情で過ごしているんだ... 
たとえキリスト教ではなくても、いつもそんな感覚で過ごしていたんだ...

と、けっこう衝撃的だった。


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# by kokoro3heian | 2017-05-06 22:14 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson150~159

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編


< レッスン150 >

真理を幻想へと持っていくことは間違い。
幻想を真理へ持っていく
ということは...

その心が救済であり、そのことを贖罪というのかなぁ... (疑問)


< レッスン151 >

次の日のワークブックに、答えらしきものが書いてあった。

救済とは、「真理は真実であり、それ以外に真実なるものはない」という認識である。

この幻想の世界は、神が意志しなかったものを自分が知覚できると、
あなたが信じているだけのことである。
これ以上に傲慢なことがあるだろうか。


失敗した~~~143.png と、くやむ気持ちは傲慢だ。
人に言われて悔しい気持ちも同じ。
人の外見に惑わされている。



< レッスン152~156>

ひとつ の いのち   と    聖性


< レッスン157~159>

テキストよりP482   ゴールの設定

私はここから何を望んでいるのか。それは何のためのものか。



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# by kokoro3heian | 2017-05-01 22:41 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

対話

人がいるからこそ 自分のことが理解できる。   人に投影しているから  気づくことができる。 なので、感謝なんだな。  聖霊と会話しているときのように、人と会話できたらいいのにな。
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# by kokoro3heian | 2017-04-26 10:28 | つぶやき | Comments(0)

田んぼで思いつき

いじめ  って   咎めの連鎖なんだな。
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# by kokoro3heian | 2017-04-24 09:44 | つぶやき | Comments(0)