ほんとうのこと

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気づきのこころ lesson226~228

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編



どこかにいるわけではない。

神の国があそこにあり、神はそこに住んでおり、私はまだこちらにいて...
いずれそこに帰る。

と、どこかで思っていたが、違った。

すべてはここにある。

幻想も私がここに作り出し、神の国 天国も いまここにあり、

わたしはすでに帰ろうとしているところに居て在り、

ひとつも動かず、どこにも行かず(行くところもなく)

ずーーーーーーーーーーーーーーーっと ここに居る。


いろんな気づきがあり、聖霊と共に分かち合う感覚はある。
けれど、兄弟と分かち合うことで、それを受け入れることで
気づきが広がる。
それも「赦し」なのだなぁと思う。
ひとりでは救われないとテキスト書いてあったっけなぁ~...

< レッスン226~227 >

苦しみを探すのはエゴの癖だから気づきにくいけど、
生きることがずいぶん楽になった。
以前は、「私が!!」が強すぎて からまわりすることが多かった。



< レッスン228 >

真実を受け入れ続けることが できるだろうか?
この世界が虚偽だとして、間違いだったと訂正できるだろうか?
それを分かったと胸の奥で理解しても、それをもち続けることができるだろうか?
その前に、大きな闇が待ち受けて、そこを越えなければいけないと
知っていても、そこを乗り越える気力があるだろうか?
出産みたいなものだろうか? 案ずるより産むが安し...?

闇はこりごりだと思ってきたが、闇よりもはるかに自分が力を持っていると
確信することが この幻想の中でも続けることができるのか?
私はまだ奇跡を体験していないから信じられないのだろうか。
信じていないから奇跡を体験できないのだろうか?

きょうは咎めないというレッスンだった。
白光の日めくりカレンダーにも同じことが書かれていた。

「自分をせめ 人をせめることを 止めよ
       せめることから自分を解き放つと
          生命の光が流れ入ってくる」

これが精霊からの 答えだったように思う。
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# by kokoro3heian | 2017-07-24 23:03 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson221~225

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編



< レッスン221~222 >

新しい。 第二部が始まった。

カラーセラピーのセッションで、「まったく新しい自分になった。生まれ変わった。」という
シンクロが起きた。
その後、帰宅したら、夫に「あれ? 本当にkokoroだよな?」と言われる。
本当に本人だよな?という顔で。
中身が変わったんじゃない?と笑っておいたが、新しいレッスンに切り替わったことも
あり、生まれ変わったのかな~?とちょっと嬉しかったけど。
これもまた夢。 夜みる夢と同じ感じだ。



< レッスン223 >

『私』が帰る。わたしは神のもとへ帰らねばばらない。
その道だけを目指す。

だから今どうすればいいの?何をすればいいの?という気持ちになるたびに
きまって守護霊のような声が「なにもしなくていい」と聞こえる。
そのことが、より深まってきたというか、なにもしなくていいというニュアンスが
腑に落ちてきたように思う。



< レッスン224~225 >

人に対して、都合が悪くなって言う「言い訳・謝罪・遠慮(身をただ引くのとは違うもの)」
それすらも防御であり、内側で起こる攻撃だ。 それが外側に投影され、起こっている(ように
見える)だけだ。
ものごとに対する感情によって起こる言い訳はいらない。ただ「はい」と聖霊のように認める。
     ↓
これが赦したくないという想い。



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# by kokoro3heian | 2017-07-17 18:57 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson213~220

せっかく書いたのに全部消えた145.png
気を取り直して、もう一度書きなおそう...

パソコンも古くなったなぁ...(泣き)



奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編




< レッスン213 >

そう...私が思いつくことはすべて、自分を傷つけることばかり。
気づいてゆだねる。
抵抗は感じるが、手放したあとは自由を感じる。

どうしてこんな重いものをもっていたのだろう?と、記憶喪失みたいになる。
(ある日、重いものを両手に持って立っていた... あれ? みないな感じ)

精霊からすれば、私達は重度の認知症だろうな。
まったく世話のやける人だ...と感じる。
聖霊にはそんなこと感じないだろうけど。
(最近認知症のニュースばかり目に入ってきたため)

認知症の人は不安でいっぱいだろうと思う。
自分には分からない。という気持ちでいるのだから。



< レッスン214~217 >

わたしが悪いわけではない。という罪悪感から解放されるたびに救済が行われたの
だなと感じる。聖霊に感謝があふれる。 ハートが満たされる。

肉体について、テキストを読んだ。
え!?とビックリする反面、なるほどな やっぱりな!と小さい頃からの
疑問が解けていく感じ。




< レッスン218 >
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愛はもともとあるもの。
愛をそのままつくり、延長するか
幻想をつくって地獄にとどまり続けるか。
ただそれだけ。


















< レッスン219~220 >

私が見ているものについての責任は、私自身にある。
私が経験する感情を選択するのは私自身であり、私が達成したいゴールを
決めるのも私自身である。
そして私の身に起こるかに見えるすべては、私が求めて、求めた通りに受け取る
ものである。

テキストP584より

「なにから手をつけていいのか わからない」
「なにを理解しているのか わからない」
と、ブログに書いたばかりだったのに。
えーーーーーーーーーーーーーーー!?
ああ そうだったね。何度も何度も そう繰り返していたはずだったのに。
何もわかってない。というふりをしていた?
そういう選択をしたというだけなのか...
何度も間違えて...でも選択し直すだけなんだよな。
罪はない。 ただ間違えただけ。

~間違いに気がつく~
何度も間違えているというよりは、
いつも常に間違えていて、意識して選択し直す... 聖霊の言葉を待つ... 
と言った方がいいのかもしれない。
選択し直す屈辱を感じることもあるけど、それは単なる間違いであって
その間違いが常にあったのだから、まったく特別なことはないから
改めて恥ずかしがることもない。
ゆだねることは、素晴らしいことで
頼りない、とか、できない奴、とか、迷惑、とか感じる必要はないということ。
聖霊にゆだねることで、認知症の人にもそんな感覚で接することができるだと思う。
それは優しさであり、恩寵を感じる瞬間。ハートが満たされ癒される瞬間でもある。





消える前の投稿は、ちょっと手直しして分かりやすく書こうとしていたことに
気がついた。
けっきょく手直しすることなく ありのままを書いた。
誰かに読んでもらおうとするのではなく、自分のために書いているのだから
ありのままを書かないと、この行為に意味がなくなってしまう。
と、消えたことで気がついた。

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# by kokoro3heian | 2017-07-04 23:07 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson206~212

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編




< レッスン206 >

とくに何も書いていなかった。



< レッスン207 >

今日も病院の付き添い。
朝からなんとなく体調が良くなかった。
通院へ一緒に行った父母も良くなかったようだ。
車中で、病気の話ばかりだったので「違う話をしようよ!」と
何度も本音をぶつけてしまう。
病院内で、何度も「ゆるし」をした。

この頃は、父母と過ごすことが多くなる。『ほんとうのこと』を伝えたくて
めずらしく気持ちが高揚したりした。
嫁いだ頃は、この高揚感が何度も訪れて 家族の中が変わっていくのが
目に見えて分かった。
そのことへの罪悪感が、いつもわたしに重くのしかかる。

最初は正義感から言葉が出て来るのだが、どんどんハートからの言葉が
容赦なく出てくる119.png
罪悪感をすごく感じるわりには、相手はスッキリした顔をしている。
というか意味が分からないような感じ。
愛の言葉だったからかもしれないが、わたしにとってはとても苦痛だった。

自分が好きなことをしている時も、「呼ばれるような直感」から神社などへ
出掛ける時も、罪悪感を感じていた。
直感を感じているときは当然のような気分になるし、無理をしなくても
ちゃんと事が運ぶから、自分で動いている感覚はない。

けれども、その後、周りからの抵抗感と罪悪感が凄い。
なので、直感で動くことが、ほんとうに嫌になってしまった120.png

これが、防衛なのだと、コースを読んでいて気がついた。



< レッスン208 >

見えるものはすべて、内なる視覚で見られたものの影である。
ワークブックP424より

きのう病院を見わたして、これが全部幻想だなんてなぁ...と
感じていたので ” ずいぶん はっきり見える影だなぁ!” と心で叫んだら、
周りから爆笑が起きた感じがした。
最近、聖霊(と感じるもの)が、ひとりではないと感じる。
ず~っと声のようなものが心に感じるのだけど、守護霊なのかなぁ?と
それにしてもキャラがころころと変わるなぁ
...
みんなはエンジェルとか
ミカエルとか言うけど、わたしはサラリーマン風だったり、大阪のオバチャン
だったり、超まじめなオッサンだったり、髭のはやした仙人のようなお爺さん
だったりする。
病院内で、なんでこうなんだ?と考えていたら、スーッと背後にたくさんの
存在を感じた。
そして、『ひとりとか2人とか、数えられるものではないけど、その時のあなたに
合わせたキャラで対応している』と伝わってきた。


知覚は内なる視覚から始まり、内なる視覚で終わる。
それ以外に知覚の源はない。



< レッスン209 >

人のことなんてどうでもよかった。
まずは自分が思い出さなきゃ始まらない。
それにしても「私は肉体ではない~」にすごく抵抗を感じる。

レッスンの言葉のたびに、分からなくなり、その言葉に
囚われてしまう気がした。
どうしても「自分がやる」という感覚に戻ってしまいやすい。


< レッスン210~211 >

あなたは神ご自身を父にもつ 聖なる子だ!!

おおきく おおきく 赦しをする。


< レッスン212 >


肉体がなければ、心が誤りを犯すことはありえない。
ワークブックP436より



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# by kokoro3heian | 2017-07-02 17:48 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson 199~205

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編


< レッスン199~200 >

私は肉体ではない。私は自由である。
ワークブックより

肉体にとらわれない。(囚われの身)という意味合いに思える。

私は自由... 私は平安...



< レッスン201>

復習が始まる。

なんとなくザワザワ、落ちつかない気持ち。きのうの春分の日で
いろんな人がワークをやっているという情報を見て、少し羨むような
気持ちと落ち込みがあったが、それも聖霊に渡す。

憎しみや兄弟の肉体に囚われてムカムカした。

夜中もムカムカ... 食べ過ぎ?



< レッスン202 >

ワークブックを読むたびに嫌な気持ちになる。
肉体に対する嫌な思い出が多過ぎて吐きそう...
すごく攻撃してきたのだろう...



やっとマニュアルの序文を読む。
教えることと学ぶことの役割は、この世界の思考では実際には逆になっている。
 この逆転は特徴的なものである~

マニュアルP40より

教えることが苦手だと感じたのはいつ頃からだろう...
その重圧と責任に苦しくなってしまう...
スラスラ教え、生徒の注目を上手に集める人達をとても羨ましく思っていた。
教える人は、つねに勉強不足を指摘されるからだ。

私が教える人を攻撃しているのかもしれない。
看護士と教師だけには絶対なりたくないと、子どもの頃から思っていたから。

けれども、教えるとは、逆なのだと書かれていて、私は本当はやりたかったの
だなぁ...と思った。



< レッスン203>

携帯ショップの対応から、いろんな負の感情が吹き出て、カオス。
「ああ...うじゃり豆...」と本当に実感!!!

神の使者を、ときどき仕事帰りに聞く。


携帯で動画を見ると、パケットがかかる。データ量をオーバーしそうになるので
制限がかかってしまう120.png
たくさん聞きたいのだけど...お金にゆとりがない生活が続く。
何かがブレーキになっているのだけど、それがよく分からない。
「これでいいのだ」という気持ちがとても強い。


< レッスン204 >

「キリスト」という名は、人物の名前ではなく、平安の象徴の名前。
だから、キリストとは神と私の名である。


< レッスン205 >

講演会へ行く。人に伝えたいことは何もない、と思った。それすら幻想。

この日は、久しぶりに講演会にでかけた。
たぶん食の関係だったと思う。
最近は、出掛けたくもないし、外食しても食べたいものもないし楽しくない。
できるだけ人にも会いたくないし、ひとりでゲームしたくなる。
ゲームもやりたいわけでもなく、コース以外は、瞑想かゲームしか
やることがない感じ。
あとは日々の仕事を処理し、全力で目の前にあることと向き合うだけ。

ただ  それだけ。

なにより 「氣づき」の多い日が 嬉しい。



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# by kokoro3heian | 2017-06-10 10:29 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)