ほんとうのこと

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気づきのこころ lesson213~220

せっかく書いたのに全部消えた145.png
気を取り直して、もう一度書きなおそう...

パソコンも古くなったなぁ...(泣き)



奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編




< レッスン213 >

そう...私が思いつくことはすべて、自分を傷つけることばかり。
気づいてゆだねる。
抵抗は感じるが、手放したあとは自由を感じる。

どうしてこんな重いものをもっていたのだろう?と、記憶喪失みたいになる。
(ある日、重いものを両手に持って立っていた... あれ? みないな感じ)

精霊からすれば、私達は重度の認知症だろうな。
まったく世話のやける人だ...と感じる。
聖霊にはそんなこと感じないだろうけど。
(最近認知症のニュースばかり目に入ってきたため)

認知症の人は不安でいっぱいだろうと思う。
自分には分からない。という気持ちでいるのだから。



< レッスン214~217 >

わたしが悪いわけではない。という罪悪感から解放されるたびに救済が行われたの
だなと感じる。聖霊に感謝があふれる。 ハートが満たされる。

肉体について、テキストを読んだ。
え!?とビックリする反面、なるほどな やっぱりな!と小さい頃からの
疑問が解けていく感じ。




< レッスン218 >
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愛はもともとあるもの。
愛をそのままつくり、延長するか
幻想をつくって地獄にとどまり続けるか。
ただそれだけ。


















< レッスン219~220 >

私が見ているものについての責任は、私自身にある。
私が経験する感情を選択するのは私自身であり、私が達成したいゴールを
決めるのも私自身である。
そして私の身に起こるかに見えるすべては、私が求めて、求めた通りに受け取る
ものである。

テキストP584より

「なにから手をつけていいのか わからない」
「なにを理解しているのか わからない」
と、ブログに書いたばかりだったのに。
えーーーーーーーーーーーーーーー!?
ああ そうだったね。何度も何度も そう繰り返していたはずだったのに。
何もわかってない。というふりをしていた?
そういう選択をしたというだけなのか...
何度も間違えて...でも選択し直すだけなんだよな。
罪はない。 ただ間違えただけ。

~間違いに気がつく~
何度も間違えているというよりは、
いつも常に間違えていて、意識して選択し直す... 聖霊の言葉を待つ... 
と言った方がいいのかもしれない。
選択し直す屈辱を感じることもあるけど、それは単なる間違いであって
その間違いが常にあったのだから、まったく特別なことはないから
改めて恥ずかしがることもない。
ゆだねることは、素晴らしいことで
頼りない、とか、できない奴、とか、迷惑、とか感じる必要はないということ。
聖霊にゆだねることで、認知症の人にもそんな感覚で接することができるだと思う。
それは優しさであり、恩寵を感じる瞬間。ハートが満たされ癒される瞬間でもある。





消える前の投稿は、ちょっと手直しして分かりやすく書こうとしていたことに
気がついた。
けっきょく手直しすることなく ありのままを書いた。
誰かに読んでもらおうとするのではなく、自分のために書いているのだから
ありのままを書かないと、この行為に意味がなくなってしまう。
と、消えたことで気がついた。

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# by kokoro3heian | 2017-07-04 23:07 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson206~212

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編




< レッスン206 >

とくに何も書いていなかった。



< レッスン207 >

今日も病院の付き添い。
朝からなんとなく体調が良くなかった。
通院へ一緒に行った父母も良くなかったようだ。
車中で、病気の話ばかりだったので「違う話をしようよ!」と
何度も本音をぶつけてしまう。
病院内で、何度も「ゆるし」をした。

この頃は、父母と過ごすことが多くなる。『ほんとうのこと』を伝えたくて
めずらしく気持ちが高揚したりした。
嫁いだ頃は、この高揚感が何度も訪れて 家族の中が変わっていくのが
目に見えて分かった。
そのことへの罪悪感が、いつもわたしに重くのしかかる。

最初は正義感から言葉が出て来るのだが、どんどんハートからの言葉が
容赦なく出てくる119.png
罪悪感をすごく感じるわりには、相手はスッキリした顔をしている。
というか意味が分からないような感じ。
愛の言葉だったからかもしれないが、わたしにとってはとても苦痛だった。

自分が好きなことをしている時も、「呼ばれるような直感」から神社などへ
出掛ける時も、罪悪感を感じていた。
直感を感じているときは当然のような気分になるし、無理をしなくても
ちゃんと事が運ぶから、自分で動いている感覚はない。

けれども、その後、周りからの抵抗感と罪悪感が凄い。
なので、直感で動くことが、ほんとうに嫌になってしまった120.png

これが、防衛なのだと、コースを読んでいて気がついた。



< レッスン208 >

見えるものはすべて、内なる視覚で見られたものの影である。
ワークブックP424より

きのう病院を見わたして、これが全部幻想だなんてなぁ...と
感じていたので ” ずいぶん はっきり見える影だなぁ!” と心で叫んだら、
周りから爆笑が起きた感じがした。
最近、聖霊(と感じるもの)が、ひとりではないと感じる。
ず~っと声のようなものが心に感じるのだけど、守護霊なのかなぁ?と
それにしてもキャラがころころと変わるなぁ
...
みんなはエンジェルとか
ミカエルとか言うけど、わたしはサラリーマン風だったり、大阪のオバチャン
だったり、超まじめなオッサンだったり、髭のはやした仙人のようなお爺さん
だったりする。
病院内で、なんでこうなんだ?と考えていたら、スーッと背後にたくさんの
存在を感じた。
そして、『ひとりとか2人とか、数えられるものではないけど、その時のあなたに
合わせたキャラで対応している』と伝わってきた。


知覚は内なる視覚から始まり、内なる視覚で終わる。
それ以外に知覚の源はない。



< レッスン209 >

人のことなんてどうでもよかった。
まずは自分が思い出さなきゃ始まらない。
それにしても「私は肉体ではない~」にすごく抵抗を感じる。

レッスンの言葉のたびに、分からなくなり、その言葉に
囚われてしまう気がした。
どうしても「自分がやる」という感覚に戻ってしまいやすい。


< レッスン210~211 >

あなたは神ご自身を父にもつ 聖なる子だ!!

おおきく おおきく 赦しをする。


< レッスン212 >


肉体がなければ、心が誤りを犯すことはありえない。
ワークブックP436より



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# by kokoro3heian | 2017-07-02 17:48 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson 199~205

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編


< レッスン199~200 >

私は肉体ではない。私は自由である。
ワークブックより

肉体にとらわれない。(囚われの身)という意味合いに思える。

私は自由... 私は平安...



< レッスン201>

復習が始まる。

なんとなくザワザワ、落ちつかない気持ち。きのうの春分の日で
いろんな人がワークをやっているという情報を見て、少し羨むような
気持ちと落ち込みがあったが、それも聖霊に渡す。

憎しみや兄弟の肉体に囚われてムカムカした。

夜中もムカムカ... 食べ過ぎ?



< レッスン202 >

ワークブックを読むたびに嫌な気持ちになる。
肉体に対する嫌な思い出が多過ぎて吐きそう...
すごく攻撃してきたのだろう...



やっとマニュアルの序文を読む。
教えることと学ぶことの役割は、この世界の思考では実際には逆になっている。
 この逆転は特徴的なものである~

マニュアルP40より

教えることが苦手だと感じたのはいつ頃からだろう...
その重圧と責任に苦しくなってしまう...
スラスラ教え、生徒の注目を上手に集める人達をとても羨ましく思っていた。
教える人は、つねに勉強不足を指摘されるからだ。

私が教える人を攻撃しているのかもしれない。
看護士と教師だけには絶対なりたくないと、子どもの頃から思っていたから。

けれども、教えるとは、逆なのだと書かれていて、私は本当はやりたかったの
だなぁ...と思った。



< レッスン203>

携帯ショップの対応から、いろんな負の感情が吹き出て、カオス。
「ああ...うじゃり豆...」と本当に実感!!!

神の使者を、ときどき仕事帰りに聞く。


携帯で動画を見ると、パケットがかかる。データ量をオーバーしそうになるので
制限がかかってしまう120.png
たくさん聞きたいのだけど...お金にゆとりがない生活が続く。
何かがブレーキになっているのだけど、それがよく分からない。
「これでいいのだ」という気持ちがとても強い。


< レッスン204 >

「キリスト」という名は、人物の名前ではなく、平安の象徴の名前。
だから、キリストとは神と私の名である。


< レッスン205 >

講演会へ行く。人に伝えたいことは何もない、と思った。それすら幻想。

この日は、久しぶりに講演会にでかけた。
たぶん食の関係だったと思う。
最近は、出掛けたくもないし、外食しても食べたいものもないし楽しくない。
できるだけ人にも会いたくないし、ひとりでゲームしたくなる。
ゲームもやりたいわけでもなく、コース以外は、瞑想かゲームしか
やることがない感じ。
あとは日々の仕事を処理し、全力で目の前にあることと向き合うだけ。

ただ  それだけ。

なにより 「氣づき」の多い日が 嬉しい。



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# by kokoro3heian | 2017-06-10 10:29 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson 191~198

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編


< レッスン191~192 >

罪悪感があるから「死」を選ぶのでは?
罪がなければ、そこから逃げる必要はないし。

注目されるのが怖かったのは...
①罰する神がいるという信念
 これを信じないと(狂っているとは分かりつつも)生きていけないと感じた。

②その怖ろしい神を信じる人達が攻撃してくると思ったから。
 それは心が2つに分裂していると信じたからだ。

自分はひとつではない、と思えることが間違いだった...

自分を深くみつめることができた日々だった。



< レッスン193 >

~神からのレッスン~
赦しなさい。そうすれば、あなたはこれを違った見方でみるだろう。




< レッスン194~195 >

テキストP555より 今日から聖週間。今日は棕櫚の主日。
 

< レッスン196 >

2つに分裂した心がある。よそゆきの私と本当の私。
いちいち確認していた。これで正しいかどうか、など。
それは罪の神を信じている私がいる。
それが必要だと思っていたから。
この世界で生きていくには、それが必要だと思っていたから。

この日はコースの勉強会があった。
帰ってからマニュアルを読もう...と思ったけど眠すぎた...
すごく充実した。心地よい疲れ。


< レッスン197~198 >


~ 知覚を支配している法則 ~
咎めるなら、あなたは幽閉される。
赦すなら、あなたは解放される。

あらゆる形の苦しみは、必ず赦そうとしない想念を隠している
ということを忘れてはいけない。
そしてまた、赦しが 癒せないどんな形の苦痛もない
ということも忘れてはいけない。

ワークブックより

この日から、少しずつマニュアルも読み始める。



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# by kokoro3heian | 2017-06-04 19:02 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson 184~190

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編


< レッスン184~187 >

このコース自体を伝えることは、何の意味もない。

このコースで変わった自分は伝えることが出来る。

真実、真理を違う場所に求めることによって、自分に変化が起こるからだ。
今まで探し求めていたものは、この世界にはないということに気づき、自分の
中に探し求める。

変化した自分は けっして元には戻らない。
探した場所にソレはきちんとあって、いつも変わらず輝いて 私達を
導き、引き寄せていることを思い出すから、戻らない。

そのことが、自然にみんなに伝わる。

「伝えよう」とすることは、エゴだったことに気づく。
そして、「伝えよう」とする その想念そのものになるからだ。


逃げてはいけない。

恐れるものを受け入れることによって、それは恐れではなかったと気づき、
恐れるに値しないものだと気づき、私達はとてもとても強いものだったと
気づくものだから。


「恐れ」というものは、何もないのだということに気づくことが
わたしにとって ありがたい。


コースとの出逢いに 感謝します...




喜んで与えなさい。

それにより、あなたはただ得るのみである。

ワークブックP422より




< レッスン188~190 >

外にあると感じるものは、すべて持っている物。

与えられている物。 すでにあるもの。

だから、うらやましがる必要はない。 すべては鏡。

自分が変化するのは内側でのできごとであって、変わるというよりは
もとに戻る 感覚だ。
これ以外に答えはない。というくらい当たり前のことに思えるのに、
生活のなかではエゴの世界に飲み込まれてしまっているように感じる。

それでも ときどき 思い出す。

これが大切なのかもしれない。


平安への障害
テキストP532

第一の障害...平安を取り除きたいという欲求

第二の障害...肉体は、それが提供するものゆえに価値がある。という信念。
      (肉体は手段であって、目的ではない)


第三の障害...死の魅力
      死は、大きな障害のように見えるが、それは自我のすべての秘密と
      欺瞞のための奇妙な仕組みのすべてと、その病んだ想念や荒唐無稽な
      想像の一部が隠されているからだ。
      「肉体から解放されたい」ではなく
      「あなたが肉体に課した命令から自由にしなさい」
      肉体を赦しなさい。

第四の障害...神に対する恐れ

      これを私から取り上げ、それを見て、代りに判断して下さい。
      私がこれを、罪と死のしるしとして眺めたり、破壊のために用いたり  
      することがありませんように。
      どうすれば私がそれを平安への障害とせずに、あなたによって私のために
      使ってもらい、平安の到来を早められるかを教えてください
。(P547)

赦すとは...  自由になりたい!ではなくて 自由になれないと命じるのをやめる ということなんだなぁ...


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# by kokoro3heian | 2017-06-03 18:24 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)