ほんとうのこと

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テキスト 第二章

第Ⅱ章 分離と贖罪

「病とは何らかの形の外的探究である」

外に答えをみつけようとする、ということなのかな。

わたしは神に属さない何かが、自分や人に影響を及ぼすと信じて生きている。
(時間というものを信じて生きている)
このように生きることを信じ、つくりだしている。
これは価値を置く対象が間違っている。

空間でさえも幻想なの? うーん... 
でも、そういえば 心には空間もないかも。

信じることは見ること(神とひとつになること より)
幻想を信じているから幻想が見える。
元が幻想だから幻想を作り出すことしかできない。
目(肉眼)に見えることは全部幻想だ!と、いつも気づくこと。
いやいやこれは違うでしょう...と思いたくなるのは、やっぱり幻想を
信じているから。
今の私は、幻想を信じているから真理を信じていない
ということになるな...
常に恐れがある。

コースに出会えたのは、真理を信じようとしたからだ。
コースのワークブックを終えられたのは、真理を信じようと選択肢したからだ。
コースを続けていられるのは、真理を信じたいと決断したからだ。
(お金がなくなってどこにも出掛けられなくなったからではない!)
(...けど、どこにも出掛けたくないのは確かだ。お金に余裕がないからすることがないのも確かだ(笑))

ずっと これしかやることがないし...という感じだったけど、すべてが真理への
導きであって、私は手を差しのべられていたのだな ずっと。
どうしていまのこんな状況になったの?と、悲しみや情けなさや苦しみを感じて
いたのだけれど、そんな時に聞こえる言葉は「これでよい。この方がよい。」
という力づよい意志のような答えだった。
これは、どんなときも同じ答えだった。
そんなことが受け入れられずに落ち込みが襲う。
何度も何度も「これでよい。」という力づよいハートのメッセージに、
だんだん楽チンになり、私は明るい鬱なんだな、と思うようになった。
この導きが、本当の謙遜へと向かっているように思う。

不平不満はいつもあったし、そのせいで人も責めたけど
いつも私は手を差しのべられていて、いつもいつも導かれていたんだ...

心から ありがとう と、言いたい。

 ありがとう



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# by kokoro3heian | 2018-02-07 20:51 | 癒しへの道 | Comments(0)

テキスト 第一章

第Ⅰ章 奇跡の意味 つづき

「神からの分離という感覚だけが、あなたが真に正すべき唯一の欠乏である。」

...
そうだよね。欠乏感が、私が幻想をつくる原因だものね。
原因は他にあるような気にさせるけど(エゴは)。
でも、原因は私が欠乏感を現実にしようとする無理な試みであって、本当は
存在しないということになる。
けれども、それがとっても恐ろしく感じるものだから、世界(幻想の)を作り出し
てきたんだなぁ。

その恐ろしさを、神を思い出すことで、軽減されていく。
「大丈夫だ」「安心だ」が増えていくんだ...。

そして、最後に神へ帰る。

それが、シナリオ。

そういえば、大きな気づきが始まった時、この世界は仏様の大いなる
シナリオなので、お任せすれば大丈夫。ちっぽけな(一部でしかない)自分が
そのプロセスを把握するには、あまりにも膨大なデータだから知る必要なんか
ないんだよ。って、知ったんだっけ。
その時は、すごいーーーー!これ!その通りだ!と、あまりにも興奮して
友達に伝えたんだけど、反応薄くて あれ?やっぱり私って変なのかな...
って思ったっけ。
でも、どうしてもそういうことを分かち合いたくて、出逢いが広がっていった
んだっけ...
でも、いろんなツールに行き詰まりを感じて、動けなくなってしまった いま。
そのツールや出会い全てがシナリオのひとつだったんだなぁーーーと、思える。
何一つ持続しなくて嫌になってたけど、それでよかったなーーと、思う。

とノートに書いてる横で夫が、きのうみたTVでの気づきの話をし始めた。
親鸞が言ってることの解釈を人は間違えてる、と言う。虫一匹も殺しては
いけないという仏教の教え。
人に暴力をふるうVTRを見せると人々は嫌がるのに、家族を傷つけた犯人を殴る
VTRにすると快楽を感じたという。
「正当防衛になると、人は暴力さえも正しくて、人はいつも正当化しているんだ」
と、伊集院光が言っていたんだそうだ。
いっつも人は正当化しているんだな。人に罪をなすりつけているんだな。
ということだった。

気づきがシンクロした。

コースはね!キリストはね!と、わたしがコースの気づきを話しはじめたら
嫌がっていなくなった....

なして共有しようとせず、上から目線で話そうとするんだべ...
と、反省...
(けど、このときはあまり反省していなかった(笑) そして、いま(2月)そのことで
夫と大喧嘩してしまい、わたしはあまり話をしていない。出来なくなった。
どうしても、自分は悪くない、と正当化してしまうからだ。)



癒しにはレベルが存在する。カタチも方法も存在する。
究極的には、何もないけど そのレベルには存在する。

私がそれを信じているからだ。
つくったものを信じている。それは神と似ているからだ。
般若心経も、まったく違う解釈が出来る。
それは やはり レベルの問題だ。

今は、こんな気づきの状態だけど...とか、明日は仕事で...とか、今日は病院いくから
レッスンのメモ書きを持って...とか、この間のことは...とか...
時間とかではなくて、それはすべて「複数の異なったレベル」だったんだ!

「必要の序列という考えは、人は神から分離できるとする原初の誤りからの帰結であるが、
この考えはそれ自体のレベルにおける訂正を必要とする。それが訂正された後に、複数の
レベルというものを知覚する誤りが訂正できるようになる。
複数の異なったレベルで機能している限り、あなたは効果的に行動できない。」

レベルが違う人と話していても通じない。
私がレベルが高いというのではなく、私の見ている複数の中の1つの
レベルをただ、認識しているだけ。
そのことに囚われたり、評価する必要はない。
囚われることで、私は効果的に行動できなくなってしまう。

神の通りに動けるようになりたい。 真理に沿って動けるようになりたい。
そうだ...評価なんて関係なかった。
すべては自分の違ったレベルを眺めているだけなんだから。

(うわ。いまの状況に対する答えが全部書いてある。...そうだ。違うレベルに気をとられて
自分の機能(ハタラキ)を忘れるところだった。 評価されたりしたりしてる場合じゃない。
いまの状況は、単に赦す場面(レベル)が現れているだけなんだった。
...これで聖霊に預けることができるかな...  ふう...   

私が空間や時間を信じているから、混乱して、エゴの意味づけを信じてしまうんだな。
辛いときには、いつもエゴを信じている。苦しさから抜け出すには、深呼吸して聖霊の
意味付けに耳を傾けるようにしよう...

できるかな...?ではなくて、できるために(このハタラキをするために)起きていること
なんだな。)




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# by kokoro3heian | 2018-02-05 10:37 | 癒しへの道 | Comments(0)

囚われの身

人への突っ込みって...


全部 自分への 突っ込みだった 153.png


人の姿見て、「いまそれやってる場合?他にやることあるでしょ」
って思ったんだけど
それって自分がゲームやろうと思ってるときに自分に問いかけて
いることだった。
「たくさん仕事してきたんだから、いまゲームやったっていいでしょ!」
と、いちいち言い訳していたことに気づいた。
あまりにも常用しているし、常識になっちゃってた。

人と自分を囚われの身にしている。

いつの間にか。
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# by kokoro3heian | 2018-02-05 09:58 | つぶやき | Comments(0)

テキストまえがき~第一章

第Ⅰ章 奇跡の意味

読んで...読んで理解できますように...

奇跡は私? 私自身だ。

互恵的 ーーー 互いに相手に利益や恩恵を与え合うこと。


「神とひとつになること」ニール・ドナルド・ウォルシュ著を
読み返す。
こんどは具合が悪くならず、読み進めることが出来た。
読み返してみると、こんなこと書いてたか?!
と、初めて読むような感覚。


私は闇を隠そうとしている?

苦しみや、葛藤がある時は(あるいは隠しているのが出てきたとき)
間違ったレベルを抱えているので、聖霊に頼んで正しい解釈にし直す。
すると、楽になる。

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# by kokoro3heian | 2018-01-31 15:13 | 癒しへの道 | Comments(0)

lessonを終えて

結局は、何も分かってない。ということを知った。

何かを覚えて実行しなければならないと力んでいたチカラを
抜いていって、その抜き方を知ることと、赦し、ゆだねてもいいんだと
信頼すること。

それをいつも思い出すこと。

どんなひどい状況を見ても、どんな楽しい状況を見ても
それはニセモノで、ホンモノ(真理)にいつも立ち帰り
どんどん至福に包まれていくこと。

ゆるしていく。

必ず大丈夫だと。

胸の奥に間違えようのない真理があるのだと。

今日(10月)からまたテキストを読み返していこうと思う。

以前から思っていたが、日本の○○道とは、エゴの攻撃への対処法だと思う。
エゴに立ち向かうのではなく、受け入れ 消す。
敵を倒したり、物を極めたりするものではないと感じる。


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# by kokoro3heian | 2018-01-31 15:01 | 癒しへの道 | Comments(0)