ほんとうのこと

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気づきのこころ lesson 199~205

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編


< レッスン199~200 >

私は肉体ではない。私は自由である。
ワークブックより

肉体にとらわれない。(囚われの身)という意味合いに思える。

私は自由... 私は平安...



< レッスン201>

復習が始まる。

なんとなくザワザワ、落ちつかない気持ち。きのうの春分の日で
いろんな人がワークをやっているという情報を見て、少し羨むような
気持ちと落ち込みがあったが、それも聖霊に渡す。

憎しみや兄弟の肉体に囚われてムカムカした。

夜中もムカムカ... 食べ過ぎ?



< レッスン202 >

ワークブックを読むたびに嫌な気持ちになる。
肉体に対する嫌な思い出が多過ぎて吐きそう...
すごく攻撃してきたのだろう...



やっとマニュアルの序文を読む。
教えることと学ぶことの役割は、この世界の思考では実際には逆になっている。
 この逆転は特徴的なものである~

マニュアルP40より

教えることが苦手だと感じたのはいつ頃からだろう...
その重圧と責任に苦しくなってしまう...
スラスラ教え、生徒の注目を上手に集める人達をとても羨ましく思っていた。
教える人は、つねに勉強不足を指摘されるからだ。

私が教える人を攻撃しているのかもしれない。
看護士と教師だけには絶対なりたくないと、子どもの頃から思っていたから。

けれども、教えるとは、逆なのだと書かれていて、私は本当はやりたかったの
だなぁ...と思った。



< レッスン203>

携帯ショップの対応から、いろんな負の感情が吹き出て、カオス。
「ああ...うじゃり豆...」と本当に実感!!!

神の使者を、ときどき仕事帰りに聞く。


携帯で動画を見ると、パケットがかかる。データ量をオーバーしそうになるので
制限がかかってしまう120.png
たくさん聞きたいのだけど...お金にゆとりがない生活が続く。
何かがブレーキになっているのだけど、それがよく分からない。
「これでいいのだ」という気持ちがとても強い。


< レッスン204 >

「キリスト」という名は、人物の名前ではなく、平安の象徴の名前。
だから、キリストとは神と私の名である。


< レッスン205 >

講演会へ行く。人に伝えたいことは何もない、と思った。それすら幻想。

この日は、久しぶりに講演会にでかけた。
たぶん食の関係だったと思う。
最近は、出掛けたくもないし、外食しても食べたいものもないし楽しくない。
できるだけ人にも会いたくないし、ひとりでゲームしたくなる。
ゲームもやりたいわけでもなく、コース以外は、瞑想かゲームしか
やることがない感じ。
あとは日々の仕事を処理し、全力で目の前にあることと向き合うだけ。

ただ  それだけ。

なにより 「氣づき」の多い日が 嬉しい。



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by kokoro3heian | 2017-06-10 10:29 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson 191~198

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編


< レッスン191~192 >

罪悪感があるから「死」を選ぶのでは?
罪がなければ、そこから逃げる必要はないし。

注目されるのが怖かったのは...
①罰する神がいるという信念
 これを信じないと(狂っているとは分かりつつも)生きていけないと感じた。

②その怖ろしい神を信じる人達が攻撃してくると思ったから。
 それは心が2つに分裂していると信じたからだ。

自分はひとつではない、と思えることが間違いだった...

自分を深くみつめることができた日々だった。



< レッスン193 >

~神からのレッスン~
赦しなさい。そうすれば、あなたはこれを違った見方でみるだろう。




< レッスン194~195 >

テキストP555より 今日から聖週間。今日は棕櫚の主日。
 

< レッスン196 >

2つに分裂した心がある。よそゆきの私と本当の私。
いちいち確認していた。これで正しいかどうか、など。
それは罪の神を信じている私がいる。
それが必要だと思っていたから。
この世界で生きていくには、それが必要だと思っていたから。

この日はコースの勉強会があった。
帰ってからマニュアルを読もう...と思ったけど眠すぎた...
すごく充実した。心地よい疲れ。


< レッスン197~198 >


~ 知覚を支配している法則 ~
咎めるなら、あなたは幽閉される。
赦すなら、あなたは解放される。

あらゆる形の苦しみは、必ず赦そうとしない想念を隠している
ということを忘れてはいけない。
そしてまた、赦しが 癒せないどんな形の苦痛もない
ということも忘れてはいけない。

ワークブックより

この日から、少しずつマニュアルも読み始める。



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by kokoro3heian | 2017-06-04 19:02 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson 184~190

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編


< レッスン184~187 >

このコース自体を伝えることは、何の意味もない。

このコースで変わった自分は伝えることが出来る。

真実、真理を違う場所に求めることによって、自分に変化が起こるからだ。
今まで探し求めていたものは、この世界にはないということに気づき、自分の
中に探し求める。

変化した自分は けっして元には戻らない。
探した場所にソレはきちんとあって、いつも変わらず輝いて 私達を
導き、引き寄せていることを思い出すから、戻らない。

そのことが、自然にみんなに伝わる。

「伝えよう」とすることは、エゴだったことに気づく。
そして、「伝えよう」とする その想念そのものになるからだ。


逃げてはいけない。

恐れるものを受け入れることによって、それは恐れではなかったと気づき、
恐れるに値しないものだと気づき、私達はとてもとても強いものだったと
気づくものだから。


「恐れ」というものは、何もないのだということに気づくことが
わたしにとって ありがたい。


コースとの出逢いに 感謝します...




喜んで与えなさい。

それにより、あなたはただ得るのみである。

ワークブックP422より




< レッスン188~190 >

外にあると感じるものは、すべて持っている物。

与えられている物。 すでにあるもの。

だから、うらやましがる必要はない。 すべては鏡。

自分が変化するのは内側でのできごとであって、変わるというよりは
もとに戻る 感覚だ。
これ以外に答えはない。というくらい当たり前のことに思えるのに、
生活のなかではエゴの世界に飲み込まれてしまっているように感じる。

それでも ときどき 思い出す。

これが大切なのかもしれない。


平安への障害
テキストP532

第一の障害...平安を取り除きたいという欲求

第二の障害...肉体は、それが提供するものゆえに価値がある。という信念。
      (肉体は手段であって、目的ではない)


第三の障害...死の魅力
      死は、大きな障害のように見えるが、それは自我のすべての秘密と
      欺瞞のための奇妙な仕組みのすべてと、その病んだ想念や荒唐無稽な
      想像の一部が隠されているからだ。
      「肉体から解放されたい」ではなく
      「あなたが肉体に課した命令から自由にしなさい」
      肉体を赦しなさい。

第四の障害...神に対する恐れ

      これを私から取り上げ、それを見て、代りに判断して下さい。
      私がこれを、罪と死のしるしとして眺めたり、破壊のために用いたり  
      することがありませんように。
      どうすれば私がそれを平安への障害とせずに、あなたによって私のために
      使ってもらい、平安の到来を早められるかを教えてください
。(P547)

赦すとは...  自由になりたい!ではなくて 自由になれないと命じるのをやめる ということなんだなぁ...


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by kokoro3heian | 2017-06-03 18:24 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson 181~183

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編


< レッスン181 >

どうせまたダメだ。とか、いいかげんもう嫌だ。という瞬間は、
時間という概念に どっぷりと浸かっている感覚のときに感じられる。

神と共にあれば、時間は感じない。


不信は幻想に直結する
テキストP522より

肉体自体は何の力もないのだ。
心がどのような目的に使おうとするかで
肉体の健康や病気が決まる。
心が分離すること(正しくは出来ると思いこむこと。分離はありえないから)で
肉体はそ目的に用いられる。
肉体が武器となり、分離が起ったと実証する。
肉体は、そのようにして幻想の道具となっている。

肉体は、存在しないものを見ている。
肉体は、存在しないものを聞いている。
よって、狂気によって幽閉され、狂った行動をとる。

「病気と癒し」「真理と幻想」両方とも保持しようとする試みのすべてが幻想を作り出してる???

誤り・間違とは...正せば良い。<訂正>
罪とは...心が攻撃可能だという確信。信じ込んでいること。
    心が心を許すまで有罪ということになる。<処罰>
    罪は誤りではない!

罪があると信じている限り、許すという行為になってしまう。
罪があると信じている間は、幻想を支持していることになる。
神なんていない。そもそも神という言葉すらもなんだか宗教くさくて
うさんくさく感じるようになってしまう。

許しではなく、赦し。
「赦し」は訂正であり、間違いを正すこと。



< レッスン182~183 >


間違いには魅力はないが、罪悪の中に魅力が見出される。
私達は罪の虜になっている!?
...~ 罪の誘惑w

もし罪が実在するなら、神もあなたも、どちらも実在しないことになる。

怖かったり 自信がなかったり 挙動不審になるのは まったく違うものを信じているからだ。

エゴは「弱くて尻込みする自分像」を作り出す。

まったく違うもの...それが幻想なのかな...




神の幼子はやって来た。

わたしを救うために。



地獄のようなこの世界は 夢をみていただけだった♪と
簡単に抜け出し 光の差す場所へ歩いていくものだ。

それを決めるのは1つの選択にすぎない。

けれども とても重要だ。


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by kokoro3heian | 2017-06-02 11:42 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)