ほんとうのこと

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カテゴリ:奇跡のコース 実践編( 50 )

気づきのこころ lesson233~235

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編





悪や、悪と思えることがあることを責めたり、反抗したりすることが
解決方法ではない。
なぜ 自分がそんなことを引き寄せているのかを知ることが大切だ。

もしも、「私は幸福を引き寄せている。富んでいる」と思っている場合は、
分離を信じている人達だ。
いま感じている 不幸な出来事は、すべての人が感じていることだから、
そこから切り離されていることはありえないのだから。

いま豊かさを感じていても、それで満足していてはいけない。

豊かさを感じ始めたことに感謝をし、胸の奥にある満たされた平安を信じて、
「いまを生きる」ことだ。



< レッスン233 >

今日のレッスンの言葉に対して、「疑い」という恐怖を感じる。

世界の始まりの言葉。思い。それが、「もし」という恐怖から始まったのだな?


忍耐力は、スピリチュアルな人生を送るには必要不可欠。
その忍耐力は、「自分を信じてあげること。」ができること。
その自分とは、「本来の自分」であって、神の子であることを知ること。


シャーリーマクレーンの本が、終わりそうで終わらない。

文中より感じたこと......

ディスは、”あるものから切り離す”という意味だそうだ。
ディスとは、「死」? 死は分離を信じる者がつくりだすコトだ。
わたしは分離を信じる者だ。だからこの世界に生きている。
神の優しさや、神の愛を誤解するのも 無理はないなぁ...

つながっている時...という言い方をしてきたけれど これも間違いだ。
つながっていることを思い出しているとき(最初からつながっているのだから)
に、気づきが多い気がする。


そして。
本を読み終わった。

幻想は天国の中にある...?
私たちが幻想にいるとしたら...

 幻想がないのなら 私たちはどこにいる?   投影された中にいる。

ないのに... ある?

消されたのに... なぜまだ投影された中にいる?

しばらく本の余韻に浸る...



< レッスン234~235 >

そんな矢先に 父が入院した。 予期せぬ非常事態。

私が為すべきことは、ただ自分を傷つけるように思える物事を眺め、
全き確信をもって、「私がこのことから救われることが、神の意志である」と言い、
自分を安心させ、それらが消えてゆくのをじっと見ていることだけである。
幸福だけが私に訪れているとわかるためには、私に対する父の意志は幸福だけだと
覚えておくだけでよい。
レッスン235より


バタバタと入院手続きを済ませたあと、帰りに見た 夜桜が 妙に綺麗だった。


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by kokoro3heian | 2017-08-01 21:40 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson229~232

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編





< レッスン229~231 >

シャーリーマクレーンの{アウト・オン・ア・リム」を読みなおしていたが、
終わりに近づいた。
前回読んだときよりも深く読みこんだ感じ。
中学校からのメールに「ALTのディビットがたくさん来てくれるようになった」
と書かれていて、本の中のディビットとシンクロして、笑えた。
私にもディビットのような存在がいてほしい...ような居て欲しくないような...



< レッスン232 >

神の子は、どこか他の高い所 天にいるわけでなく、今ここに  いる。
どこか自分とは違う 天国にいるような感覚だったけど、そうではなく
ここにいるから、出会う人はみんな神の子であり、自分も神の子であるから
自分を癒すことが必要なのだな。
これがコースで教えようとしていることなんだな。




テキストP598よりの気づき

ひとりひとり肉体を持って、心も分離しているように見える
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けれども、肉体は心を分離することは出来ない。
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神は何でも願いを叶えてくれる。願いを叶えるためには、「私が良くないと思うもの」も、
何でも使う。
私が願いを叶えようとすること、とか、何でも使って神がするんだというこの考え方は、
幻想に真理を持ちこもうとする考え方だ。なので狂ってる(笑)
狂気のままでは奇跡は起きない。
私にできることは、願いを叶えることではなくて、この幻想を真理に差しだし、入れ替える
ことだ。 つまり機能(はたらき)をして救済すること。

まだまだ混乱している状態だけど、少し理解できたような気がして嬉しかった。


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by kokoro3heian | 2017-07-30 22:59 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson226~228

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編



どこかにいるわけではない。

神の国があそこにあり、神はそこに住んでおり、私はまだこちらにいて...
いずれそこに帰る。

と、どこかで思っていたが、違った。

すべてはここにある。

幻想も私がここに作り出し、神の国 天国も いまここにあり、

わたしはすでに帰ろうとしているところに居て在り、

ひとつも動かず、どこにも行かず(行くところもなく)

ずーーーーーーーーーーーーーーーっと ここに居る。


いろんな気づきがあり、聖霊と共に分かち合う感覚はある。
けれど、兄弟と分かち合うことで、それを受け入れることで
気づきが広がる。
それも「赦し」なのだなぁと思う。
ひとりでは救われないとテキスト書いてあったっけなぁ~...

< レッスン226~227 >

苦しみを探すのはエゴの癖だから気づきにくいけど、
生きることがずいぶん楽になった。
以前は、「私が!!」が強すぎて からまわりすることが多かった。



< レッスン228 >

真実を受け入れ続けることが できるだろうか?
この世界が虚偽だとして、間違いだったと訂正できるだろうか?
それを分かったと胸の奥で理解しても、それをもち続けることができるだろうか?
その前に、大きな闇が待ち受けて、そこを越えなければいけないと
知っていても、そこを乗り越える気力があるだろうか?
出産みたいなものだろうか? 案ずるより産むが安し...?

闇はこりごりだと思ってきたが、闇よりもはるかに自分が力を持っていると
確信することが この幻想の中でも続けることができるのか?
私はまだ奇跡を体験していないから信じられないのだろうか。
信じていないから奇跡を体験できないのだろうか?

きょうは咎めないというレッスンだった。
白光の日めくりカレンダーにも同じことが書かれていた。

「自分をせめ 人をせめることを 止めよ
       せめることから自分を解き放つと
          生命の光が流れ入ってくる」

これが精霊からの 答えだったように思う。
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by kokoro3heian | 2017-07-24 23:03 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson221~225

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編



< レッスン221~222 >

新しい。 第二部が始まった。

カラーセラピーのセッションで、「まったく新しい自分になった。生まれ変わった。」という
シンクロが起きた。
その後、帰宅したら、夫に「あれ? 本当にkokoroだよな?」と言われる。
本当に本人だよな?という顔で。
中身が変わったんじゃない?と笑っておいたが、新しいレッスンに切り替わったことも
あり、生まれ変わったのかな~?とちょっと嬉しかったけど。
これもまた夢。 夜みる夢と同じ感じだ。



< レッスン223 >

『私』が帰る。わたしは神のもとへ帰らねばばらない。
その道だけを目指す。

だから今どうすればいいの?何をすればいいの?という気持ちになるたびに
きまって守護霊のような声が「なにもしなくていい」と聞こえる。
そのことが、より深まってきたというか、なにもしなくていいというニュアンスが
腑に落ちてきたように思う。



< レッスン224~225 >

人に対して、都合が悪くなって言う「言い訳・謝罪・遠慮(身をただ引くのとは違うもの)」
それすらも防御であり、内側で起こる攻撃だ。 それが外側に投影され、起こっている(ように
見える)だけだ。
ものごとに対する感情によって起こる言い訳はいらない。ただ「はい」と聖霊のように認める。
     ↓
これが赦したくないという想い。



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by kokoro3heian | 2017-07-17 18:57 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson213~220

せっかく書いたのに全部消えた145.png
気を取り直して、もう一度書きなおそう...

パソコンも古くなったなぁ...(泣き)



奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編




< レッスン213 >

そう...私が思いつくことはすべて、自分を傷つけることばかり。
気づいてゆだねる。
抵抗は感じるが、手放したあとは自由を感じる。

どうしてこんな重いものをもっていたのだろう?と、記憶喪失みたいになる。
(ある日、重いものを両手に持って立っていた... あれ? みないな感じ)

精霊からすれば、私達は重度の認知症だろうな。
まったく世話のやける人だ...と感じる。
聖霊にはそんなこと感じないだろうけど。
(最近認知症のニュースばかり目に入ってきたため)

認知症の人は不安でいっぱいだろうと思う。
自分には分からない。という気持ちでいるのだから。



< レッスン214~217 >

わたしが悪いわけではない。という罪悪感から解放されるたびに救済が行われたの
だなと感じる。聖霊に感謝があふれる。 ハートが満たされる。

肉体について、テキストを読んだ。
え!?とビックリする反面、なるほどな やっぱりな!と小さい頃からの
疑問が解けていく感じ。




< レッスン218 >
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愛はもともとあるもの。
愛をそのままつくり、延長するか
幻想をつくって地獄にとどまり続けるか。
ただそれだけ。


















< レッスン219~220 >

私が見ているものについての責任は、私自身にある。
私が経験する感情を選択するのは私自身であり、私が達成したいゴールを
決めるのも私自身である。
そして私の身に起こるかに見えるすべては、私が求めて、求めた通りに受け取る
ものである。

テキストP584より

「なにから手をつけていいのか わからない」
「なにを理解しているのか わからない」
と、ブログに書いたばかりだったのに。
えーーーーーーーーーーーーーーー!?
ああ そうだったね。何度も何度も そう繰り返していたはずだったのに。
何もわかってない。というふりをしていた?
そういう選択をしたというだけなのか...
何度も間違えて...でも選択し直すだけなんだよな。
罪はない。 ただ間違えただけ。

~間違いに気がつく~
何度も間違えているというよりは、
いつも常に間違えていて、意識して選択し直す... 聖霊の言葉を待つ... 
と言った方がいいのかもしれない。
選択し直す屈辱を感じることもあるけど、それは単なる間違いであって
その間違いが常にあったのだから、まったく特別なことはないから
改めて恥ずかしがることもない。
ゆだねることは、素晴らしいことで
頼りない、とか、できない奴、とか、迷惑、とか感じる必要はないということ。
聖霊にゆだねることで、認知症の人にもそんな感覚で接することができるだと思う。
それは優しさであり、恩寵を感じる瞬間。ハートが満たされ癒される瞬間でもある。





消える前の投稿は、ちょっと手直しして分かりやすく書こうとしていたことに
気がついた。
けっきょく手直しすることなく ありのままを書いた。
誰かに読んでもらおうとするのではなく、自分のために書いているのだから
ありのままを書かないと、この行為に意味がなくなってしまう。
と、消えたことで気がついた。

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by kokoro3heian | 2017-07-04 23:07 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson206~212

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編




< レッスン206 >

とくに何も書いていなかった。



< レッスン207 >

今日も病院の付き添い。
朝からなんとなく体調が良くなかった。
通院へ一緒に行った父母も良くなかったようだ。
車中で、病気の話ばかりだったので「違う話をしようよ!」と
何度も本音をぶつけてしまう。
病院内で、何度も「ゆるし」をした。

この頃は、父母と過ごすことが多くなる。『ほんとうのこと』を伝えたくて
めずらしく気持ちが高揚したりした。
嫁いだ頃は、この高揚感が何度も訪れて 家族の中が変わっていくのが
目に見えて分かった。
そのことへの罪悪感が、いつもわたしに重くのしかかる。

最初は正義感から言葉が出て来るのだが、どんどんハートからの言葉が
容赦なく出てくる119.png
罪悪感をすごく感じるわりには、相手はスッキリした顔をしている。
というか意味が分からないような感じ。
愛の言葉だったからかもしれないが、わたしにとってはとても苦痛だった。

自分が好きなことをしている時も、「呼ばれるような直感」から神社などへ
出掛ける時も、罪悪感を感じていた。
直感を感じているときは当然のような気分になるし、無理をしなくても
ちゃんと事が運ぶから、自分で動いている感覚はない。

けれども、その後、周りからの抵抗感と罪悪感が凄い。
なので、直感で動くことが、ほんとうに嫌になってしまった120.png

これが、防衛なのだと、コースを読んでいて気がついた。



< レッスン208 >

見えるものはすべて、内なる視覚で見られたものの影である。
ワークブックP424より

きのう病院を見わたして、これが全部幻想だなんてなぁ...と
感じていたので ” ずいぶん はっきり見える影だなぁ!” と心で叫んだら、
周りから爆笑が起きた感じがした。
最近、聖霊(と感じるもの)が、ひとりではないと感じる。
ず~っと声のようなものが心に感じるのだけど、守護霊なのかなぁ?と
それにしてもキャラがころころと変わるなぁ
...
みんなはエンジェルとか
ミカエルとか言うけど、わたしはサラリーマン風だったり、大阪のオバチャン
だったり、超まじめなオッサンだったり、髭のはやした仙人のようなお爺さん
だったりする。
病院内で、なんでこうなんだ?と考えていたら、スーッと背後にたくさんの
存在を感じた。
そして、『ひとりとか2人とか、数えられるものではないけど、その時のあなたに
合わせたキャラで対応している』と伝わってきた。


知覚は内なる視覚から始まり、内なる視覚で終わる。
それ以外に知覚の源はない。



< レッスン209 >

人のことなんてどうでもよかった。
まずは自分が思い出さなきゃ始まらない。
それにしても「私は肉体ではない~」にすごく抵抗を感じる。

レッスンの言葉のたびに、分からなくなり、その言葉に
囚われてしまう気がした。
どうしても「自分がやる」という感覚に戻ってしまいやすい。


< レッスン210~211 >

あなたは神ご自身を父にもつ 聖なる子だ!!

おおきく おおきく 赦しをする。


< レッスン212 >


肉体がなければ、心が誤りを犯すことはありえない。
ワークブックP436より



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by kokoro3heian | 2017-07-02 17:48 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson 199~205

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編


< レッスン199~200 >

私は肉体ではない。私は自由である。
ワークブックより

肉体にとらわれない。(囚われの身)という意味合いに思える。

私は自由... 私は平安...



< レッスン201>

復習が始まる。

なんとなくザワザワ、落ちつかない気持ち。きのうの春分の日で
いろんな人がワークをやっているという情報を見て、少し羨むような
気持ちと落ち込みがあったが、それも聖霊に渡す。

憎しみや兄弟の肉体に囚われてムカムカした。

夜中もムカムカ... 食べ過ぎ?



< レッスン202 >

ワークブックを読むたびに嫌な気持ちになる。
肉体に対する嫌な思い出が多過ぎて吐きそう...
すごく攻撃してきたのだろう...



やっとマニュアルの序文を読む。
教えることと学ぶことの役割は、この世界の思考では実際には逆になっている。
 この逆転は特徴的なものである~

マニュアルP40より

教えることが苦手だと感じたのはいつ頃からだろう...
その重圧と責任に苦しくなってしまう...
スラスラ教え、生徒の注目を上手に集める人達をとても羨ましく思っていた。
教える人は、つねに勉強不足を指摘されるからだ。

私が教える人を攻撃しているのかもしれない。
看護士と教師だけには絶対なりたくないと、子どもの頃から思っていたから。

けれども、教えるとは、逆なのだと書かれていて、私は本当はやりたかったの
だなぁ...と思った。



< レッスン203>

携帯ショップの対応から、いろんな負の感情が吹き出て、カオス。
「ああ...うじゃり豆...」と本当に実感!!!

神の使者を、ときどき仕事帰りに聞く。


携帯で動画を見ると、パケットがかかる。データ量をオーバーしそうになるので
制限がかかってしまう120.png
たくさん聞きたいのだけど...お金にゆとりがない生活が続く。
何かがブレーキになっているのだけど、それがよく分からない。
「これでいいのだ」という気持ちがとても強い。


< レッスン204 >

「キリスト」という名は、人物の名前ではなく、平安の象徴の名前。
だから、キリストとは神と私の名である。


< レッスン205 >

講演会へ行く。人に伝えたいことは何もない、と思った。それすら幻想。

この日は、久しぶりに講演会にでかけた。
たぶん食の関係だったと思う。
最近は、出掛けたくもないし、外食しても食べたいものもないし楽しくない。
できるだけ人にも会いたくないし、ひとりでゲームしたくなる。
ゲームもやりたいわけでもなく、コース以外は、瞑想かゲームしか
やることがない感じ。
あとは日々の仕事を処理し、全力で目の前にあることと向き合うだけ。

ただ  それだけ。

なにより 「氣づき」の多い日が 嬉しい。



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by kokoro3heian | 2017-06-10 10:29 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson 191~198

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編


< レッスン191~192 >

罪悪感があるから「死」を選ぶのでは?
罪がなければ、そこから逃げる必要はないし。

注目されるのが怖かったのは...
①罰する神がいるという信念
 これを信じないと(狂っているとは分かりつつも)生きていけないと感じた。

②その怖ろしい神を信じる人達が攻撃してくると思ったから。
 それは心が2つに分裂していると信じたからだ。

自分はひとつではない、と思えることが間違いだった...

自分を深くみつめることができた日々だった。



< レッスン193 >

~神からのレッスン~
赦しなさい。そうすれば、あなたはこれを違った見方でみるだろう。




< レッスン194~195 >

テキストP555より 今日から聖週間。今日は棕櫚の主日。
 

< レッスン196 >

2つに分裂した心がある。よそゆきの私と本当の私。
いちいち確認していた。これで正しいかどうか、など。
それは罪の神を信じている私がいる。
それが必要だと思っていたから。
この世界で生きていくには、それが必要だと思っていたから。

この日はコースの勉強会があった。
帰ってからマニュアルを読もう...と思ったけど眠すぎた...
すごく充実した。心地よい疲れ。


< レッスン197~198 >


~ 知覚を支配している法則 ~
咎めるなら、あなたは幽閉される。
赦すなら、あなたは解放される。

あらゆる形の苦しみは、必ず赦そうとしない想念を隠している
ということを忘れてはいけない。
そしてまた、赦しが 癒せないどんな形の苦痛もない
ということも忘れてはいけない。

ワークブックより

この日から、少しずつマニュアルも読み始める。



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by kokoro3heian | 2017-06-04 19:02 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson 184~190

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編


< レッスン184~187 >

このコース自体を伝えることは、何の意味もない。

このコースで変わった自分は伝えることが出来る。

真実、真理を違う場所に求めることによって、自分に変化が起こるからだ。
今まで探し求めていたものは、この世界にはないということに気づき、自分の
中に探し求める。

変化した自分は けっして元には戻らない。
探した場所にソレはきちんとあって、いつも変わらず輝いて 私達を
導き、引き寄せていることを思い出すから、戻らない。

そのことが、自然にみんなに伝わる。

「伝えよう」とすることは、エゴだったことに気づく。
そして、「伝えよう」とする その想念そのものになるからだ。


逃げてはいけない。

恐れるものを受け入れることによって、それは恐れではなかったと気づき、
恐れるに値しないものだと気づき、私達はとてもとても強いものだったと
気づくものだから。


「恐れ」というものは、何もないのだということに気づくことが
わたしにとって ありがたい。


コースとの出逢いに 感謝します...




喜んで与えなさい。

それにより、あなたはただ得るのみである。

ワークブックP422より




< レッスン188~190 >

外にあると感じるものは、すべて持っている物。

与えられている物。 すでにあるもの。

だから、うらやましがる必要はない。 すべては鏡。

自分が変化するのは内側でのできごとであって、変わるというよりは
もとに戻る 感覚だ。
これ以外に答えはない。というくらい当たり前のことに思えるのに、
生活のなかではエゴの世界に飲み込まれてしまっているように感じる。

それでも ときどき 思い出す。

これが大切なのかもしれない。


平安への障害
テキストP532

第一の障害...平安を取り除きたいという欲求

第二の障害...肉体は、それが提供するものゆえに価値がある。という信念。
      (肉体は手段であって、目的ではない)


第三の障害...死の魅力
      死は、大きな障害のように見えるが、それは自我のすべての秘密と
      欺瞞のための奇妙な仕組みのすべてと、その病んだ想念や荒唐無稽な
      想像の一部が隠されているからだ。
      「肉体から解放されたい」ではなく
      「あなたが肉体に課した命令から自由にしなさい」
      肉体を赦しなさい。

第四の障害...神に対する恐れ

      これを私から取り上げ、それを見て、代りに判断して下さい。
      私がこれを、罪と死のしるしとして眺めたり、破壊のために用いたり  
      することがありませんように。
      どうすれば私がそれを平安への障害とせずに、あなたによって私のために
      使ってもらい、平安の到来を早められるかを教えてください
。(P547)

赦すとは...  自由になりたい!ではなくて 自由になれないと命じるのをやめる ということなんだなぁ...


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by kokoro3heian | 2017-06-03 18:24 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson 181~183

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編


< レッスン181 >

どうせまたダメだ。とか、いいかげんもう嫌だ。という瞬間は、
時間という概念に どっぷりと浸かっている感覚のときに感じられる。

神と共にあれば、時間は感じない。


不信は幻想に直結する
テキストP522より

肉体自体は何の力もないのだ。
心がどのような目的に使おうとするかで
肉体の健康や病気が決まる。
心が分離すること(正しくは出来ると思いこむこと。分離はありえないから)で
肉体はそ目的に用いられる。
肉体が武器となり、分離が起ったと実証する。
肉体は、そのようにして幻想の道具となっている。

肉体は、存在しないものを見ている。
肉体は、存在しないものを聞いている。
よって、狂気によって幽閉され、狂った行動をとる。

「病気と癒し」「真理と幻想」両方とも保持しようとする試みのすべてが幻想を作り出してる???

誤り・間違とは...正せば良い。<訂正>
罪とは...心が攻撃可能だという確信。信じ込んでいること。
    心が心を許すまで有罪ということになる。<処罰>
    罪は誤りではない!

罪があると信じている限り、許すという行為になってしまう。
罪があると信じている間は、幻想を支持していることになる。
神なんていない。そもそも神という言葉すらもなんだか宗教くさくて
うさんくさく感じるようになってしまう。

許しではなく、赦し。
「赦し」は訂正であり、間違いを正すこと。



< レッスン182~183 >


間違いには魅力はないが、罪悪の中に魅力が見出される。
私達は罪の虜になっている!?
...~ 罪の誘惑w

もし罪が実在するなら、神もあなたも、どちらも実在しないことになる。

怖かったり 自信がなかったり 挙動不審になるのは まったく違うものを信じているからだ。

エゴは「弱くて尻込みする自分像」を作り出す。

まったく違うもの...それが幻想なのかな...




神の幼子はやって来た。

わたしを救うために。



地獄のようなこの世界は 夢をみていただけだった♪と
簡単に抜け出し 光の差す場所へ歩いていくものだ。

それを決めるのは1つの選択にすぎない。

けれども とても重要だ。


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by kokoro3heian | 2017-06-02 11:42 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)