ほんとうのこと

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カテゴリ:奇跡のコース 実践編( 34 )

気づきのこころ lesson258~263

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編




< レッスン 264 >

あまり良くないと思われる状況の中、意味のない至福感が訪れる。

以前もときどき、あった。

そういえば、意味のない罪悪感も時々あったなぁ。

すべてに意味はないのだ...。


私たちがやってきたことは、地獄での探究だった。

(テキスト等からの気づき)


ワークの言葉は、優しい。
この優しさが、どうしても受け入れられない時もあるのだけれど。




< レッスン 265~266 >

すべての人が救済者である。と?

...   それを知覚してみたいものだ...




< レッスン 267 >

両親の心配事に、こころがザワザワする。
どうしても反応が起きて、説教みたいになってしまう。

説教したわたしは興奮していて、いつものように後悔が襲う。
でも、当の本人たちは、「なるほど~ ふうん」と、冷静になっている。
会話が頭のなかでグルグルして、エゴにはまってしまう...

この日は、神の平安の中で心が鼓動するというワークだったのに、
違う意味で鼓動してしまった148.png
わたしはいつもこれが嫌で後悔するのだけれど、聞いている本人たちは
機嫌が良くなって、違う話をし出す。
それに怒りがこみ上げるのだけど、話をすっかりそらしてしまうので
怒りすらもなくなって言葉も失ってしまう。
聞こえていなかったのかな?と思うくらいにスルーされる。

夫にこのことを話すと、「分かるけど、受け入れられない」と笑われる。
わたしは本当のことを言うので怒られたり すねたりするんだろうなと
恐くなるのだけど、だいたい笑われる。
あとで、なんであんなこと言ったのだろう?と怖ろしくなる。
夫は「何かがのり移ったのだろう」とまた笑う。

わたしは怖ろしくて笑えない。
しばらく大人しくしていたい...と落ち込む120.png



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by kokoro3heian | 2017-08-21 18:30 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson258~263

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編




< レッスン258 >

いいことを思いついた♪と、話しても、いつも必ず
「それはムリ。」「それは難しい」と拒絶される。

とくに義母と夫はいつもそうだ。そういえば、母もそうだ。
なぜそう言うのか?いつも疑問だった。嫌な気持ちになった。

これこそが抵抗だ。真理ではない。

この拒絶こそが、幻想を表している。
拒絶する人を責めたくなる...そんな嗜好になるが、そちらを選択してはならない。
幻ではなく、真理を選択しよう。

拒否。拒絶...それは真理に対抗しようとしている...つまり幻想であり、取り消される
べきものである。
その抵抗につられず、聖霊に「こんな抵抗があったよ」と話そう。そして離そう。



< レッスン259 >

神の子はどこにいるのだろう?

神の子は わたし なのに。一体どこにいるというのだろう?
けれどもこの時は、いくつもの分裂した私がいて、いろんな視点になってしまい、
混乱して、読めば読むほど分からなくなっていた。

人と話すことも嫌になっていたので、必要最小限の会話だけをして、あとはひとり
携帯ゲームか仕事に没頭していた。
それだけが、唯一の救いだった。
あとは何もしたくなかった。
けれど、からだが勝手に動いていた。「よそゆきの私」が勝手に動いている。
そんな感じだった。

神のゴールを達成不可能に見せているのは、罪という概念だけである。

罪は存在しないということを、思い出せますように
...
ワークブックより


< レッスン260 >

母のエゴとたくさん話す。 つ...疲れた。

神の子としての兄弟だ。という風には、どうしても感じることができない。
いつものモードになり、幻想にどっぷりはまり、疲れ果てる。

父と母には、感情が強く出て来るので、難しいという気持ちがわいてくる。
いつも同じものが現れているのだと、思うことができない。
これは特別な感情なんだと、お互いに思ってしまう。

< レッスン261~263 >

田植えだけど、雨。 ものすごく焦る気持ちに負けそう。
きのうもレッスンをしなかったし。
気持ちが立て直せないくらい、重い。

レッスンが進まず。 忙しくて、気持ちがついていけない感じ。

それでも、やめたいとは思わなかった...




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by kokoro3heian | 2017-08-13 15:53 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson238~246

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編




< レッスン238~239 >

はまっていた携帯ゲーム。あたらしいスマホになったため、出来ず。
時間ができた。

なんとかしようと思うからエゴの中に入ってしまう。
農作業の間中、すごい感情が吹き出してくる。

「かんがえない かんがえない。 何もしない 何もしない...... 」と心でつぶやく。

なんとかレッスンについていこう... という気持ちだけが支えだった。



< レッスン240 >

恐れ、痛みは決してありえない姿の自分自身を見たということ。
それにより、あなたが ありえない世界を見ているということになる。
それはあなたの抱く幻想。
私たちの中に恐れはない。



< レッスン241 >

キリストのまなざし
五感を聖霊と共に使う

あなたが赦す時、聖なる瞬間が訪れる。
あなたがすべての人を赦すいま、彼らはひとつに結ばれる。

私が今日、あなたに赦されるからである。




< レッスン242 >

愚痴をいっぱい聞かされた149.png

愚痴を言う人と聞く人がいる。という視点から、どうしても離れられない。
また会わなくちゃいけないと思うとウンザリしてくる。
仕事になると、わりと上手く赦せるのに。
家族や、近い人達は、特別だと見ているからかもしれない。
自分が特別だと思っているから、その思い込みが出てくるのかも。



< レッスン243 >

モヤモヤは真理じゃない。

なぜイライラ モヤモヤ?という考え方ではなく、
モヤモヤやイライラは、真理ではない。という考え方。
そちらではないよ~、という考え方。
モヤモヤは、神への抵抗なのだから。
それはもはや「ない」ということを聖霊に教えてもらう。


< レッスン244 >

ちょっとした影や、模様が、ものすごく恐い瞬間がある。
よく見ても恐い理由がない。
けれどもまた、ふとした瞬間に、もの凄い恐怖が襲う。
こういうのを「苦手」と呼んでごまかしてしまうのかな。
赦せばよいのだろうけど、こわさが凄いので、手ごわい。


< レッスン245 >

真理において、「今わからない」というものはない。
確実でないもの、不確かで不安定なものがこの幻想の世界。
それを消すことができるのが聖霊。
それが希望。


< レッスン246 >

できんのかな?という気持ちがよぎる。

様々な人と偶然出会った。いままでず~~~っと会えなかった、というかありえない人達と
きょう一日で一気に出会った。驚きの一日。

妙な気持ちになった。

よくよく考えてみれば、できんのかな?って、神に対して失礼よね。っていうか傲慢だね。

そして、久々にお腹をこわした
148.png


消化不良ってところかな?

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by kokoro3heian | 2017-08-09 16:31 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson236~237

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編




< レッスン236 >

すごくすごく忙しい日だった。

人に振り回され...  ぐるぐる(◎0◎)~*

コースの内容がまったく頭に入ってこない。




< レッスン237 >

すべてが新しくなってイライラ。(状況の変化)

テキストを開いたら

天国はあなたにとって重荷のように見えるだろうか。
狂気の中にあっては、そのように見えるだろう。

テキストP599より

あまりに一気にきたから、混乱していたけど、大丈夫になっていく
ただの過程のような気がする。


このときは、感情の波に持っていかれそうになるので、呪文のように
つぶやいていたコトバ。

ありえない ありえない

考えない 考えない

何もしない 何もしない

分からないけど それでもいい  どうもしない どうもしない

何も起きてない 何も起きてない


どうするの?ごめんで済むなら警察はいらないでしょ。だから言ったでしょ。
というエゴの言葉が頭でぐるぐるしたり、言ったりしてしまったとき。
そんなときにコトバを使った。

私が間違ってエゴになっちゃってるから、あとは聖霊に任せよう!
という気持ちになって

だいじょうぶだよ だって君は神の子だから という聖霊の優しさに包まれる。


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by kokoro3heian | 2017-08-01 22:00 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson233~235

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編





悪や、悪と思えることがあることを責めたり、反抗したりすることが
解決方法ではない。
なぜ 自分がそんなことを引き寄せているのかを知ることが大切だ。

もしも、「私は幸福を引き寄せている。富んでいる」と思っている場合は、
分離を信じている人達だ。
いま感じている 不幸な出来事は、すべての人が感じていることだから、
そこから切り離されていることはありえないのだから。

いま豊かさを感じていても、それで満足していてはいけない。

豊かさを感じ始めたことに感謝をし、胸の奥にある満たされた平安を信じて、
「いまを生きる」ことだ。



< レッスン233 >

今日のレッスンの言葉に対して、「疑い」という恐怖を感じる。

世界の始まりの言葉。思い。それが、「もし」という恐怖から始まったのだな?


忍耐力は、スピリチュアルな人生を送るには必要不可欠。
その忍耐力は、「自分を信じてあげること。」ができること。
その自分とは、「本来の自分」であって、神の子であることを知ること。


シャーリーマクレーンの本が、終わりそうで終わらない。

文中より感じたこと......

ディスは、”あるものから切り離す”という意味だそうだ。
ディスとは、「死」? 死は分離を信じる者がつくりだすコトだ。
わたしは分離を信じる者だ。だからこの世界に生きている。
神の優しさや、神の愛を誤解するのも 無理はないなぁ...

つながっている時...という言い方をしてきたけれど これも間違いだ。
つながっていることを思い出しているとき(最初からつながっているのだから)
に、気づきが多い気がする。


そして。
本を読み終わった。

幻想は天国の中にある...?
私たちが幻想にいるとしたら...

 幻想がないのなら 私たちはどこにいる?   投影された中にいる。

ないのに... ある?

消されたのに... なぜまだ投影された中にいる?

しばらく本の余韻に浸る...



< レッスン234~235 >

そんな矢先に 父が入院した。 予期せぬ非常事態。

私が為すべきことは、ただ自分を傷つけるように思える物事を眺め、
全き確信をもって、「私がこのことから救われることが、神の意志である」と言い、
自分を安心させ、それらが消えてゆくのをじっと見ていることだけである。
幸福だけが私に訪れているとわかるためには、私に対する父の意志は幸福だけだと
覚えておくだけでよい。
レッスン235より


バタバタと入院手続きを済ませたあと、帰りに見た 夜桜が 妙に綺麗だった。


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by kokoro3heian | 2017-08-01 21:40 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson229~232

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編





< レッスン229~231 >

シャーリーマクレーンの{アウト・オン・ア・リム」を読みなおしていたが、
終わりに近づいた。
前回読んだときよりも深く読みこんだ感じ。
中学校からのメールに「ALTのディビットがたくさん来てくれるようになった」
と書かれていて、本の中のディビットとシンクロして、笑えた。
私にもディビットのような存在がいてほしい...ような居て欲しくないような...



< レッスン232 >

神の子は、どこか他の高い所 天にいるわけでなく、今ここに  いる。
どこか自分とは違う 天国にいるような感覚だったけど、そうではなく
ここにいるから、出会う人はみんな神の子であり、自分も神の子であるから
自分を癒すことが必要なのだな。
これがコースで教えようとしていることなんだな。




テキストP598よりの気づき

ひとりひとり肉体を持って、心も分離しているように見える
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けれども、肉体は心を分離することは出来ない。
e0373453_22470869.jpg
神は何でも願いを叶えてくれる。願いを叶えるためには、「私が良くないと思うもの」も、
何でも使う。
私が願いを叶えようとすること、とか、何でも使って神がするんだというこの考え方は、
幻想に真理を持ちこもうとする考え方だ。なので狂ってる(笑)
狂気のままでは奇跡は起きない。
私にできることは、願いを叶えることではなくて、この幻想を真理に差しだし、入れ替える
ことだ。 つまり機能(はたらき)をして救済すること。

まだまだ混乱している状態だけど、少し理解できたような気がして嬉しかった。


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by kokoro3heian | 2017-07-30 22:59 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson226~228

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編



どこかにいるわけではない。

神の国があそこにあり、神はそこに住んでおり、私はまだこちらにいて...
いずれそこに帰る。

と、どこかで思っていたが、違った。

すべてはここにある。

幻想も私がここに作り出し、神の国 天国も いまここにあり、

わたしはすでに帰ろうとしているところに居て在り、

ひとつも動かず、どこにも行かず(行くところもなく)

ずーーーーーーーーーーーーーーーっと ここに居る。


いろんな気づきがあり、聖霊と共に分かち合う感覚はある。
けれど、兄弟と分かち合うことで、それを受け入れることで
気づきが広がる。
それも「赦し」なのだなぁと思う。
ひとりでは救われないとテキスト書いてあったっけなぁ~...

< レッスン226~227 >

苦しみを探すのはエゴの癖だから気づきにくいけど、
生きることがずいぶん楽になった。
以前は、「私が!!」が強すぎて からまわりすることが多かった。



< レッスン228 >

真実を受け入れ続けることが できるだろうか?
この世界が虚偽だとして、間違いだったと訂正できるだろうか?
それを分かったと胸の奥で理解しても、それをもち続けることができるだろうか?
その前に、大きな闇が待ち受けて、そこを越えなければいけないと
知っていても、そこを乗り越える気力があるだろうか?
出産みたいなものだろうか? 案ずるより産むが安し...?

闇はこりごりだと思ってきたが、闇よりもはるかに自分が力を持っていると
確信することが この幻想の中でも続けることができるのか?
私はまだ奇跡を体験していないから信じられないのだろうか。
信じていないから奇跡を体験できないのだろうか?

きょうは咎めないというレッスンだった。
白光の日めくりカレンダーにも同じことが書かれていた。

「自分をせめ 人をせめることを 止めよ
       せめることから自分を解き放つと
          生命の光が流れ入ってくる」

これが精霊からの 答えだったように思う。
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by kokoro3heian | 2017-07-24 23:03 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson221~225

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編



< レッスン221~222 >

新しい。 第二部が始まった。

カラーセラピーのセッションで、「まったく新しい自分になった。生まれ変わった。」という
シンクロが起きた。
その後、帰宅したら、夫に「あれ? 本当にkokoroだよな?」と言われる。
本当に本人だよな?という顔で。
中身が変わったんじゃない?と笑っておいたが、新しいレッスンに切り替わったことも
あり、生まれ変わったのかな~?とちょっと嬉しかったけど。
これもまた夢。 夜みる夢と同じ感じだ。



< レッスン223 >

『私』が帰る。わたしは神のもとへ帰らねばばらない。
その道だけを目指す。

だから今どうすればいいの?何をすればいいの?という気持ちになるたびに
きまって守護霊のような声が「なにもしなくていい」と聞こえる。
そのことが、より深まってきたというか、なにもしなくていいというニュアンスが
腑に落ちてきたように思う。



< レッスン224~225 >

人に対して、都合が悪くなって言う「言い訳・謝罪・遠慮(身をただ引くのとは違うもの)」
それすらも防御であり、内側で起こる攻撃だ。 それが外側に投影され、起こっている(ように
見える)だけだ。
ものごとに対する感情によって起こる言い訳はいらない。ただ「はい」と聖霊のように認める。
     ↓
これが赦したくないという想い。



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by kokoro3heian | 2017-07-17 18:57 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson213~220

せっかく書いたのに全部消えた145.png
気を取り直して、もう一度書きなおそう...

パソコンも古くなったなぁ...(泣き)



奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編




< レッスン213 >

そう...私が思いつくことはすべて、自分を傷つけることばかり。
気づいてゆだねる。
抵抗は感じるが、手放したあとは自由を感じる。

どうしてこんな重いものをもっていたのだろう?と、記憶喪失みたいになる。
(ある日、重いものを両手に持って立っていた... あれ? みないな感じ)

精霊からすれば、私達は重度の認知症だろうな。
まったく世話のやける人だ...と感じる。
聖霊にはそんなこと感じないだろうけど。
(最近認知症のニュースばかり目に入ってきたため)

認知症の人は不安でいっぱいだろうと思う。
自分には分からない。という気持ちでいるのだから。



< レッスン214~217 >

わたしが悪いわけではない。という罪悪感から解放されるたびに救済が行われたの
だなと感じる。聖霊に感謝があふれる。 ハートが満たされる。

肉体について、テキストを読んだ。
え!?とビックリする反面、なるほどな やっぱりな!と小さい頃からの
疑問が解けていく感じ。




< レッスン218 >
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愛はもともとあるもの。
愛をそのままつくり、延長するか
幻想をつくって地獄にとどまり続けるか。
ただそれだけ。


















< レッスン219~220 >

私が見ているものについての責任は、私自身にある。
私が経験する感情を選択するのは私自身であり、私が達成したいゴールを
決めるのも私自身である。
そして私の身に起こるかに見えるすべては、私が求めて、求めた通りに受け取る
ものである。

テキストP584より

「なにから手をつけていいのか わからない」
「なにを理解しているのか わからない」
と、ブログに書いたばかりだったのに。
えーーーーーーーーーーーーーーー!?
ああ そうだったね。何度も何度も そう繰り返していたはずだったのに。
何もわかってない。というふりをしていた?
そういう選択をしたというだけなのか...
何度も間違えて...でも選択し直すだけなんだよな。
罪はない。 ただ間違えただけ。

~間違いに気がつく~
何度も間違えているというよりは、
いつも常に間違えていて、意識して選択し直す... 聖霊の言葉を待つ... 
と言った方がいいのかもしれない。
選択し直す屈辱を感じることもあるけど、それは単なる間違いであって
その間違いが常にあったのだから、まったく特別なことはないから
改めて恥ずかしがることもない。
ゆだねることは、素晴らしいことで
頼りない、とか、できない奴、とか、迷惑、とか感じる必要はないということ。
聖霊にゆだねることで、認知症の人にもそんな感覚で接することができるだと思う。
それは優しさであり、恩寵を感じる瞬間。ハートが満たされ癒される瞬間でもある。





消える前の投稿は、ちょっと手直しして分かりやすく書こうとしていたことに
気がついた。
けっきょく手直しすることなく ありのままを書いた。
誰かに読んでもらおうとするのではなく、自分のために書いているのだから
ありのままを書かないと、この行為に意味がなくなってしまう。
と、消えたことで気がついた。

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by kokoro3heian | 2017-07-04 23:07 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson206~212

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編




< レッスン206 >

とくに何も書いていなかった。



< レッスン207 >

今日も病院の付き添い。
朝からなんとなく体調が良くなかった。
通院へ一緒に行った父母も良くなかったようだ。
車中で、病気の話ばかりだったので「違う話をしようよ!」と
何度も本音をぶつけてしまう。
病院内で、何度も「ゆるし」をした。

この頃は、父母と過ごすことが多くなる。『ほんとうのこと』を伝えたくて
めずらしく気持ちが高揚したりした。
嫁いだ頃は、この高揚感が何度も訪れて 家族の中が変わっていくのが
目に見えて分かった。
そのことへの罪悪感が、いつもわたしに重くのしかかる。

最初は正義感から言葉が出て来るのだが、どんどんハートからの言葉が
容赦なく出てくる119.png
罪悪感をすごく感じるわりには、相手はスッキリした顔をしている。
というか意味が分からないような感じ。
愛の言葉だったからかもしれないが、わたしにとってはとても苦痛だった。

自分が好きなことをしている時も、「呼ばれるような直感」から神社などへ
出掛ける時も、罪悪感を感じていた。
直感を感じているときは当然のような気分になるし、無理をしなくても
ちゃんと事が運ぶから、自分で動いている感覚はない。

けれども、その後、周りからの抵抗感と罪悪感が凄い。
なので、直感で動くことが、ほんとうに嫌になってしまった120.png

これが、防衛なのだと、コースを読んでいて気がついた。



< レッスン208 >

見えるものはすべて、内なる視覚で見られたものの影である。
ワークブックP424より

きのう病院を見わたして、これが全部幻想だなんてなぁ...と
感じていたので ” ずいぶん はっきり見える影だなぁ!” と心で叫んだら、
周りから爆笑が起きた感じがした。
最近、聖霊(と感じるもの)が、ひとりではないと感じる。
ず~っと声のようなものが心に感じるのだけど、守護霊なのかなぁ?と
それにしてもキャラがころころと変わるなぁ
...
みんなはエンジェルとか
ミカエルとか言うけど、わたしはサラリーマン風だったり、大阪のオバチャン
だったり、超まじめなオッサンだったり、髭のはやした仙人のようなお爺さん
だったりする。
病院内で、なんでこうなんだ?と考えていたら、スーッと背後にたくさんの
存在を感じた。
そして、『ひとりとか2人とか、数えられるものではないけど、その時のあなたに
合わせたキャラで対応している』と伝わってきた。


知覚は内なる視覚から始まり、内なる視覚で終わる。
それ以外に知覚の源はない。



< レッスン209 >

人のことなんてどうでもよかった。
まずは自分が思い出さなきゃ始まらない。
それにしても「私は肉体ではない~」にすごく抵抗を感じる。

レッスンの言葉のたびに、分からなくなり、その言葉に
囚われてしまう気がした。
どうしても「自分がやる」という感覚に戻ってしまいやすい。


< レッスン210~211 >

あなたは神ご自身を父にもつ 聖なる子だ!!

おおきく おおきく 赦しをする。


< レッスン212 >


肉体がなければ、心が誤りを犯すことはありえない。
ワークブックP436より



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by kokoro3heian | 2017-07-02 17:48 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)