ほんとうのこと

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気づきのこころ lesson296~298


奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編




< レッスン 296 >

きのうから声が出ない。
それなのに聖霊が私を通して語ると?

やっぱりお勉強会に出ないからだ、とか、フェイスブックで適当なこと
つぶやいて...とか、いろいろごちゃごちゃ出てくる。

これも ゆるし...

のどが痛くてつらい。



< レッスン 297 >

ワンネスにいこうとすると、体の痛みが「ちょっと待って! ちょっと待って!」と
止めているように思う。

「ちょっと待って。これを何とかしなければ!」という抵抗感を感じる。



< レッスン 298 >

それとこれとは違う。 という間違った想い。

全部同じ。 あれもこれも全部同じ。

マニュアルを読んで、かなりホッとして力が抜けた。
「救われた」という気持ち。
胸の... いつもの光を思い出し、その存在があることを思い出し確認したという感覚。
判断を手放す。
それがいい。



振り返っている、ちょうどいまも体調を崩している。
感情の起伏や、病状がおんなじ。
おなじ学びが来たのかなぁ...。
今回は、それほどびどくならず、回復も早かった。
解決すべき問題は、以前より多い感じがするけど、なんとか乗り越えようと思う。

聖霊と共に。


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# by kokoro3heian | 2017-10-18 18:31 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson293~295

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編




< レッスン 293 >

ワークブックの文章が読めない時、苦しい時はイラストにして書いてみる。
そういう時は、つらいことがある時だ。
嬉しいことがある時は、スイスイと読めるが、あまり意味が入ってこない。
どちらもエゴにとらわれている時だ。
けっきょくどちらも同じなのだった。
恩寵が得られるのを待つのみ。


過ぎてしまったが、振り返るのを忘れていたので、ここで取り上げてみる。

テキストP602
敵が居なければ、罪に対する信も得られない。罪を信じる者が、自分には敵がいないと
信じられるだろうか。自分を無力にした他者などいないと認められるだろうか。
理性はもちろん、そこに見つけられないものを、これ以上探さないようにと命じる。
だが、まず最初に彼は、罪が存在していない世界を知覚したいという気持ちをもたなければ
ならない。どのようにして自分にそれが見えるのかを理解しようとすべきでもない。
というのも、もし自分の理解できないものに焦点をあてるなら、彼は自分の非力さを
重視することとなり、彼の敵は彼自身の中にと罪から告げられるのを容認することに
なるだけだからである。
そうではなく、それが彼のために為されるように、彼が自分で決断すべき次の質問を、
自らに尋ねさせなさい。

①自分を支配する世界の代りに、自分が支配する世界を、私は欲するだろうか。

②自分が非力ではなく力のもつ世界を、私は欲するだろうか。

③敵がいなくて、私が罪を犯すことなどできない世界を、私は欲するだろうか。

④そして、真理であるがゆえに自分が否定したものを、私は見たいだろうか。

あなたはすでに最初の3つの質問には答えているかもしれないが、最後の質問には
答えていない。なぜなら、これは依然として恐ろしく、他の問いとは違ったものに
見えるからである。


本当に望むものを見る。
罪が存在していない世界を知覚したいという気持ち。
実現したい、理解したい...というのではなく質問をすること...

わたしの答え
① はい。 そうなるといいな~...と思うけど、ちゃんとできるのか心配。

② 力を持ちたいが、傲慢にならないようにしたい。どちらも、コースをやっていて、聖霊の導きがあれば大丈夫と思う。

③ もちろん!! そう思う。

④ どんなものなのかが分からない。

人の言う言葉、やらなければならない状況に対して抵抗感がある。
その時、4つの質問に対して「はい」ではなく「いいえ」になっている。
その変化は真理ではありえない。
真理はいつも変わらず、光り輝くものだからである。


いま振り返って質問に答えてみた。
① もちろん!!
② もちろん もちろん!!
③ そういえばそうだ!もちろんだ!
④ あ!私は自分が否定したものを投影していたんだ!幻想を見ていたい訳がない。
幻想を見ていたいという気持ちを手離そう。聖霊と共に。それが赦し。



< レッスン 294 >

同一のものが異なっていることはあり得ず、ひとつであるものには分離した部分はあり得ない。
テキスト674より


< レッスン 295 >

すごくイライラする日だった。こうなると赦しが難しく感じてしまう。
おばあちゃんの通夜だった。精神的に揺るがされた日だった


恐れは数多くの異なった形で現れるが、愛はひとつである。
ワークブックより

           


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# by kokoro3heian | 2017-10-13 11:23 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson290~292

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編




< レッスン 290 >

兄弟からもらうべきものは、咎めではなく 訂正である。

どちらを受け取るかは、私の選択によるものである。

↑と、書いたそばから攻撃を受け取ってしまう153.png



< レッスン 291 >

うらやましい...と思う気持ちの源が、特別性である。
心はそれを良いものだと勘違いする。


わたしの中に 静かな海がある... しんと静まり清らかで
平安な海がある。
それはずっとずっとそこにあった。ということに 安堵と嬉しさがこみあげてくる。
それはずっとそこにあった。




< レッスン 292 >

私が見る世界は、実相世界とはかけ離れたガラクタの世界。
あれもこれも、いつかのためにと しがみつき、恐れを抱えたまま、
神を想う世界を見ている。
それは私の責任。
誰かのせいでもなく、誰のためでもない。

よそいきの私は存在しない。
よそいきの私の周りに存在するように見える攻撃的な人達もいない。
よそいきの世界は存在しない。
あるのは わたし という意識と実相の世界だけ。


長々と、よそいきの私について書いたのだけど、すべて消えてしまった。
あまりにきれいサッパリ消えたので、がっかりというよりドキドキした。

すごく納得だ!と思って書いたけど、それはただの分析だったことに気づいた。

私は間違いをおかす。けれども、失敗ではなく それは優しく聖霊が訂正してくれる。

ただ それだけ。

ドキドキしてしまったり がっかりしたり 怒りがわいたりするけど。

それには意味はないし、本当は帰りたい気持ちを隠しているだけのこと。

本当の気持ちを伝えたいけど、素直になれない。そんな感じと似ている。

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# by kokoro3heian | 2017-10-08 10:33 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson285~289

レッスンが始まって、一年と一か月ちょっと経った... 10月1日。

365日のワークが終了した。

わたしは明らかに、何かを手にした。

それは言葉に出来ないので、振り返りつつ、それは何なのか
じぶんのこころに刻んでいきたいと思う。




奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編




< レッスン 285 >

テキストP666からの気づき

特別性についての学びが続いた。今日ちょうど読み終わったが、テキストに
書いてある通り、まったくその通り!と感じる。
コースの方が現実より難しいと思ってしまう所や、特別性への誘惑や、それが違う
ということも。

理解できていなかった!という落ち込みさえも、特別性だったとは...。
笑えたり、また落ち込みという誘惑があったり...
私の選択はまだ揺らいでいる。

けれども... 希望がある。

キリストの目的から、努力せずに得られる達成と休息のための手段がもたらされる。
テキストより



< レッスン 286~287 >

わたしは間違っていた。 わたしは傲慢だった。

何が間違いなのだろう... エゴは間違いを作り出している。

本来の自己は何も間違っていないというのに。


認知症気味の父に、病院の中で、「お前にはすごい神様がいるんだな!」と感動された。
あまりにスムーズに運ぶ出来ごとに、感動して驚いていたのだ。
通院は、嫌だと思っていたけど、通院のたびに奇跡的なことが起こる。



< レッスン 288 >

あなたは素晴らしい。  

あなたは神の子であり、私も神の子である。

あなたは 私の 兄弟である。

わたしは素晴らしい。

わたしは神の子であり、キリストの兄弟である。


< レッスン 289 >

赦しが難しい。

できない。思い出せない、感じがする。
神は完璧だけど、エゴに囚われている私は赦しがうまくできない。
やっぱり、シェア会に出てないからだ。
みんなとやれば、もっと早く幻想が消えるんだろうに。

と、そんなことを漠然と考えていることに気づいた。

それも全部過去のできごと。 過去はもうすでに、ない。
過去こそ幻想。 そうだったよねーーーーー、と思いだした。

なんで忘れるかなー。 やっぱりシェア会に出れば....

...っと。またエゴに囚われて。ああ...永遠に続く...ループ!(笑)

過去を終わらせるのは、肉体か聖性か。どちらかの選択でしかない。

赦しは、選択 ということなのかもしれない。

地上のすべてのものについての識別法となるのは、単に「それは何のためのものか」
という問いである。

テキストP668より

人生に意味はない。ないけれども、機能(はたらき)がある。
それがコースによっての希望であり、気づきや思い出す促しになるの
だろうなぁと思う。

赦されるべきものは過去だけであり、赦されたなら、過去は過ぎ去るからである。
ワークブックP518



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# by kokoro3heian | 2017-10-06 18:53 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)

気づきのこころ lesson283~284

奇跡講座  内なる平和のための財団

ワークブック編




< レッスン 283 >

マニュアルのことが、すごく理解できる。
そのためか、テキスト・マニュアル・ワークブックを同時に読み進んでいる。


文によく出てくる「私が偶像を崇拝しませんように」を、間違って解釈していた...

...ように思う。
なにかを崇めることだと思っていたので、それを気をつけようと漠然と思っていた
けど、違う。

それは私が勝手に思い描いた自分自身の虚像(イメージ)であり、
弱さや劣っているところを、必死に隠す自分だ。
恐れや劣等感があるのを必死に隠し、まるですべてを分かり切ったような姿を
見せる自分。

それはすべて幻想で...。

そうすると、失敗はありえないという神の子の感覚が戻ってくるような気がする。




< レッスン 284 >

肉体か 聖性か。 どちらかしかない。 どちらを選ぶか。

聖性に決まってるでしょ!

でも... いつも肉体を見てしまうよね。
肉体を見ているのは  肉体の目。肉眼。
けれども判断するのは  心。
だから 心の問題。 心が決断すればいい。

選び続ける。

ひたすらに。 気づきと共に。 聖霊と共に。 キリストと共に。

「 兄弟の聖性は、秘跡であり、あなたへの祝祷である。 」
テキストP665より




気づきの後が大切だ。

そこで止まってはいけない。  その奥へ

じんわりと進むべき。



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# by kokoro3heian | 2017-09-27 21:05 | 奇跡のコース 実践編 | Comments(0)